【2017年8月11日】今日は一日中レコーディング

という訳で、今日は朝からレコーディングをしていました。
夕方からAbemaTVの将棋チャンネルで、藤井四段対高見五段の将棋を観戦。決着がついてから、またレコーディング。夜もおそいので切り上げたところです。

 

 

将棋の用語で「手が見える」という言葉があります。先々までの正しい指し手がちゃんと読めることをそう言います。
「読む」というと、自分の力・思考で盤面を切り開いていく感じがしますが、「見える」というと、自分の思考・意思 (自我) とは関係ないところから、そこに風景があるようにサッと盤面が表れる、それをそのまま指す、という、半ば無意識の力が働いているような、そんなニュアンスが感じられます。

 

 

レコーディングの際に入れる音は「聴こえてくる」のを待つしかありません。音を選んでいて、将棋の「手が見える」を思い出しました。曲作りの場合、探していた音が見つかる、という感覚でしょうか。こちらも無意識の所作です。
何度も何度も、作ったのを聴きの繰り返しで、ちょっとずつ、それまで聴こえなかった音が聴こえてきます。そうやって入れた音を、また繰り返し聴いて、聴こえてくる音を重ねたり削ったり。曲作りはそんな地道な作業です。

 

 

 

 

気分転換にアプリのソフトと一局。珍しく入玉形 (自分の玉が敵陣に入ること。極めて安全な場所。) での勝利です。