【2017年10月16日】歌の上手さとは?について考えてみました (続編)

 

以前ブログに書いたお題の続編になりました。

 

 

 

数日前からレコーディング再開した「その色はブルーと」、バック・トラックがもう出来ました。
その前の「昔、むかし…」が構想数年、2回レコーディングして納得できず没にして、最近も録り初めて、その悪戦苦闘の様子を毎日ブログに更新していた事を思えば、夢のようなスピードです。

 

今回はアコギが入らないので、ギターの練習やマイクを立てて録る必要がありません。キーボードも、簡単なフレーズばかりだったので、こちらは練習せずにいけました。
前にも書きましたが、歌詞やメロディの原型が数分、数日でアレンジがまとまり、レコーディングも数日で終了。こんなに早く出来たのは初めてです。ほかの作りかけの曲が出来たら、まとめて歌入れをします。それまで歌を車の中で練習します。

 

 

 

ところで自分の曲の歌メロというのは、不思議なもので、あまり練習しなくてもそれなりに歌えるものです。これがヒトの歌だとなかなか大変で、カラオケなど、練習しないと上手く歌えません。自分の曲でも、いわゆる「作ったメロディ」だと、同じく練習が必要なのですが。
歌入れの際、どこでOKを出すかといえば、「タマシイが乗り移った!」と思えた瞬間が感じられたテイクが録れた時です。歌はタマシイの記録なので。

 

あくまで私が感じるにはですが、歌は上手くなればなるほど「上手いな〜」(芸能・芸術。鑑賞する事。) を通り越して聴こえます。それこそ一回転して、話し言葉のようにごく自然に、身近な、親しい人・大切な人が寄り添って、耳元で囁いているかのように。しかも、自分に向けての、特別な、とっておきの秘密の話を語るように。

 

私にとって「すごく歌の上手い人」は、ルー・リード、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、プリンス…。最近だと、エミネム、エリカ・バドゥ、宇多田ヒカル、七尾旅人…。
みんなとても自然にきこえます。その人そのもの (タマシイ) が伝わります。

 

 

そのジョニ・ミッチェルさんですが、現在声を失っているそうです。
コンポーザー、ギタリスト、画家としても素晴らしい表現者なので、生きている限り、何らかの表現で、再び我々を励まし続けてくれるものと信じています。