【2017年4月26日】歌詞考「ライク・ア・ローリング・ストーン/ボブ・ディラン」

ボブ・ディランがノーベル賞を受賞した件は、まだ記憶に新しいかと思います。
言葉ありきの人なので、英語がダイレクトに入ってこない日本人には、ハードルの高いアーティストだと思います。

 

この曲は、ディランの歌の中でもとりわけ有名です。
歌詞はディランならではのストーリー仕立てになっていて、ある名家の女の子がどんどん落ちぶれていって、無一文になってしまう、というお話です。1行で書くと、身もフタもないのですが。

 

ところで、歌詞がリアルに感じる時というのは、どういう時なのでしょうか。
それは、意味を、理解した時ではなく、実感した時だと思います。
サウンドや歌声といっしょに、頭の中に、歌っていることが、なだれ込んできた時だと。

 

この曲では、淡々とした循環コードに乗せて、主人公の女の子がどんどん落ちぶれていく様子を、例の歌いまわしで歌い込んでいきます。
面白いのは、話(曲)が進み、女の子が落ちぶれていくに従って、その循環するコード、メロディーに、何とも言えない開放感が伴っていく事です。どんどん開かれていく感じがします。

 

女の子は最後に無一文になってしまいます。
話は悲惨なんですが、

 

「もう何にも持ってないんだから、失うものも何にもないよ」
「君は今、透明だよ。隠す秘密も何にもないし」

 

と歌われる最終章では、「何にもない事は、何て素晴らしい事なんだろう!」と歌っているように、私には聴こえます。英語で歌われていながら、ダイレクトに響きます。
「余計なモノは、捨てていかないとダメだぜ!」と。
何度聴いても、前述の、サウンドと歌詞が一体化してなだれ込んで来る感覚、が味わえます。

 

これは私が感じた印象です。実際はどうとでも受けとれる歌詞で、ネット検索してみると、いろんな方がそれぞれの解釈で、この歌を語っています。
タイトル自体、「転がる石には、苔さえも生えない」「同じ所に留まらず、常に前進」の、相反する意味があります。

正反対の解釈、社会的な解釈などいろいろありますが、それぞれの方々が、それぞれリアルに感じて語っているという事は、それだけこの歌詞の懐が深いという事なのでしょう。
私もですが、皆、ボブ・ディランという鏡に映った自分を、語っているようです。

 

 

(余談)
昔呼ばれた結婚式で、この曲が式のヤマ場で流れて、イスから滑り落ちそうになった事があります。
「これって、主人公の女の子が落ちぶれてく歌だよ?」後日、新婦さんに何気に訊いたところ、新郎の好きな曲だという事でした。「イミとか関係なく、単純に好きだったんじゃない?」と笑ってました。今思うに、それも一つの解釈です。
もし歌詞も踏まえて、いろいろ考えた末の選曲だとしたら、なかなかの大物だと思いました。

 

 

この曲がエンド・ロールで流れる「アイデン&ティティ」。みうらじゅん氏原作の、青春ロック映画です。

私が持っている、数少ない映画のDVDの一枚です。ディランも出て来ます!(ホンモノではありません)