【2017年11月17日】11月17日は将棋の日 〜 将棋は箱庭作りに通じる面白さ

本日11月17日は将棋の日。江戸時代の御城将棋の日を由来として、将棋連盟が定めたそうです。

 

 

当ブログで何度も書いていますが、私はいわゆる「観る将」(指さないで観るのが好きなファン) です。しかも、この数年で興味をもったビギナーです。
以前、「本日は『竜王戦』観戦 〜 『今、この時間』の共有」(10月20日) で、観る将としての面白さについて、音楽ライブやマラソンを引き合いに出して書きましたが、肝心な将棋自体の魅力 (但し、私にとっての) については全く触れていなかったので、今日はその話を。

 

 

 

心理療法の1つに箱庭療法というのがあります。
セラピストが砂を入れた箱と玩具を用意して、患者に箱庭作品を作らせる。作品を作る過程や完成した作品から患者の深層心理を読み取り、治療に役立てる、という療法です。(デジタル大辞泉より)
閉じた箱庭世界の中でのその秩序は患者さんに委ねられる訳です。患者さんは赴くままに箱庭世界を構成しながら、それが自身の精神の秩序を再構成していく、という具合だと思います。多分。

 

大昔、スーパー・ファミコンに「シムシティ」というソフトがあり、これに熱中した事があります。このゲームは、箱庭作りに似ています。ただ都市を作って発展させていき、それを見守るだけのゲームなのですが。
そして、将棋も (多分囲碁やチェスも) 、箱庭作りに通じるものがあり、私はそこが楽しくて、時々アプリと対戦します。

 

将棋の序盤は、まさに世界を作っていく感じが非常に箱庭作り的です。美濃囲いや矢倉囲いなど、とても美しい、調和のとれた世界です。
中盤戦以降、駒がぶつかるようになってからは、途端にパズル的というか数学的になり、私はそっち方面の脳が全く発達していない為、面白さは一気に半減してしまいます。
私は勝ち負けにも興味がなく、アプリと指していても、盤面が見苦しくなってきたら、途中で止める事もよくあります。これでは強くなる訳ありませんね…。
チェス (俗に言う西洋将棋) など駒が立体なので、より箱庭的世界が楽しめそうです。

 

 

 

そう思って、同じ考えの方がいないかと、例によって「箱庭療法 将棋」で検索したところ、巡礼者さんという方のブログにこんな記事がありました。転載します。

 

 

 

 

箱庭療法というのは、なんとなく、将棋に近い世界なんではないかと思う。一度やったことはあるが、箱の上には、白い砂が敷いてある。これは箱の中では、一応自由に使っていい砂である。あるいは、砂の触覚というのは、多分重要なんだと思う。

 

将棋は、将棋盤という枠の中では何をしてもルールに反しない限りは自由である。リングアウトとかは、一応反則??というか、発想にない手であるが、箱庭療法で、リングアウトとかはどうなのだろうか?

 

 

巡礼者のブログ「箱庭療法の可能性。オレの場合」(2015年4月8日)より

 

 

 

 

話の流れ的には、巡礼者さんは医者に罹っている → 医者から箱庭療法を勧められる → 家に帰ったら名人戦が行われていた → そういえば箱庭と将棋は…という感じです。決して恣意的に抜き出した訳ではありません。
なんか私と同じような事を感じている方がいらっしゃって、ちょっとうれしくなりました。

 

 

 

 

 

これが相矢倉囲い。

 

 

 

 

これが先手美濃囲い。

 

 

 

 

そしてこれが終盤戦、終局直後。戦いの後の荒れ果てた荒野です。