【2018年2月3日】やりたいことがあるのは、「しあわせ」の欠落証明かもしれません

前回と前々回で、「面白いこと・楽しいことに一生懸命になる」について書きましたが、「自分は趣味もないし、特別な能力もないし、特にやりたい仕事もないんだけど、そういうのって駄目なの?」と、もしかしたら思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも安心して下さい。それが普通なんだと思います。

 

 
もしかしたら逆なのかもしれません。
何もしなくても毎日が充実して過ごせれば、それはそれでいいんじゃないかなと思います。以前触れた、いつも空と海を見て満ち足りて過ごしている「浮浪雲」の主人公のように。
あの話も、作者のジョージ秋山さんが逆に「浮浪雲」のような人ではなく、多分人並み以上に煩悩が多い悩める人だからこそ、ああいう物語を面白く描けたのだという気がします。

 

 

どうしてもやりたいことがあるというのは、心の一部の何らかの欠落の証明のような気がします。
自分を省みても、私の場合、例えば曲作りなど、「好きでやる」を通り越して、時には寝食を忘れて熱中してしまうのは、どう考えても心身にとってプラスの行為というより、何というか、心に開いた大きな穴を一生懸命埋めているような、マイナスをゼロに戻す行為のような気がします。まるで民話の「鶴の恩返し」状態です。人知れず、自分の羽根を毟り機を折る鶴のように。
私に限らず、趣味や仕事に必要以上にのめり込んでいる人は、普段の生活は多分人並み以下のしあわせ度なのかもしれません。自発的な過剰な行為を行うことによって、何とか人並みにまでもっていく、みたいな。

 

 

これが、才能のある人や、いわゆる天才と呼ばれる人々になると、もっと極端になってきます。天才の人生は往々にして、私のような普通の人からみると極端に見えます。「そこまでやらなくても」と思います。でも本人は、多分そこまでやらないと気が済まないんでしょう。
理想や目標が高いといったら聞こえがいいですが、単にそこまでしないと、本人の生活満足度・しあわせ度がプラスにというか、普通の人並みのゼロ地点にまでいかないんでしょう。

 

 

大体、見るからにしあわせそうな人というのは、何もせずにボーッとした感じの人の方が多い気がします。逆に、例えばマイケル・ジャクソンとかヨシキとか、スポーツの世界だとイチローとか、パフォーマンスは「天才的!」「スゴイなー」と感動しますが、しあわせのオーラが本人たちから出ているかといえば、ちょっと違うんじゃないかなと。

 

 

逆に、だからこそ、「普通の生活」捨てて、修行僧のような生活を送るアスリートたちや芸術家たちや研究者たちなど「過剰なプラス」を生み出す人たちに触れると、私たちは感動するのだと思います。天才でなくても、ギリギリの状況に追い込まれた人の表現 (小林麻央さんのブログなど) にも。
自分たちの日々の、プラスマイナス・ゼロ地点にあるしあわせ度が、他者の「過剰なプラス」に触れることにより、一時的に大きくアップするので。
そんな方々には、ただリスペクトするのみです。

 

 
前回書いたことと矛盾しているようですが、自分では同じことについて書いたつもりです。ちゃんと伝わったかなあ…。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、全てが人並みに、うまく行きますように。」
「感情が、全ての人達に、降り注ぎますように。」

 

 

 

「永遠なるもの」を歌う中村一義さん。その歌詞より。マイナスから一気にプラスに持っていかれる曲です。

音は、歌詞の肯定感の100倍は凄いです。文章だと、言葉しか引用できないので。