【2018年2月18日】新曲「ニューヨークの落書き」(仮題) 出来そうです

15日の朝日新聞デジタルの記事「落書き塗りつぶしたビル所有者に7億円賠償命令」を読み、所感などをその日のブログに上げたのですが、いろいろと思うところも多く、結構長い文章になりました。それから更に考えていたら、曲が出来ました。
歌詞もメロディも草案の段階なので、まだ発表出来るものではありませんが、どんな曲に仕上がっていくのか、自分でも楽しみです。

 

こうして、ニューヨークから遥か遠い遠い島国に住む人が落書きの記事を読み、何らかのインスピレーションを受けて歌を作るということは、当のニューヨークの落書きデザイナーには知る由もないことでしょう。

 
話は少し逸れます。
思うに、人が本気で、本能レベルで思ったことというのは必ず現実になるんじゃないかと、常々思います。それがどんなに悪いことでも。
集合意識レベルだと、大多数の人たちが「人類はどんどん発展して、やがて宇宙にも飛び出して、子孫が宇宙中に繁栄するのでは」と思っていたら、そうなるような気がしますし、大多数の人たちが「人類は今がピークで、この先地球環境も悪くなり、人口も減って、核戦争が起こって滅んでしまうのでは」と思っていたら、実際にそうなる気もします。

 

身近なレベルだと、本当に、本気で結婚したい人は、大体が婚活を重ねたり、上手く出会いがあったりで (男女両方そう願っている人が一定数いるので、上手くつながるんでしょう) ちゃんと結婚しています。
逆にいうと、その人にとって「出来ない」ことは、ハナから心には浮かばないんでしょう。私は自分が総理大臣になるなど、1ミリも考えたことありません。

 

落書きを遺すニューヨーカーのように、有名無名かかわらず、何らかの発信をしている人というのは、そういった本能レベルで「自分の中の何かを解き放ちたい」のだと思います。「お金にならなくても、(睡眠や食事の) 時間を削ってでも、一生懸命になること」というのは、得てしてそういうものだと思います。
本能レベルで行うからこそ、人の心を動かすんだと思います。

 

 

 

 

今、インターネットによって世界は一気に狭くなりました。何処かの誰かの、そんな本能に触れやすくなりました。
そして、触れた、と感じるということは、触れたその人の本能レベルのアンテナに触れたということです。私がこの記事を読んで、何か感じるところがあって歌まで出来たということは、落書きニューヨーカーと、僅かながらもつながったということです。そう思う気持ちは大事にしたいと思います。