【2018年3月18日】「西暦2018年 ニューヨークの落書き」制作日誌 〜 その⑤ 楽器の音色あれこれ

ようやく、ドラム、ベース、ピアノによる、ベーシックな音を録り終えました。
今回は、キーボードは打ち込みではなく、ちゃんとフレーズを手弾きしているので、アレンジをして練習をしてで、数日の時間がかかりました。練習は大変ですが、弾けると楽しいものです。

 

 

このまま歌を入れて完成させるのもありなのですが、あちこち手を入れたりしてたら何と8分越えの長い曲になったので、途中途中で楽器のソロ演奏を入れてみることにしました。
フレーズを作って、プリセットのいろんな音色で弾いてみましたが、当然ながら、合う音色・合わない音色があります。それから、音源の構造自体に、キーボードで表現するのに無理があるのもあります。ギターの音など、音色そのものはデジタル音源なのでそのままなのですが、キーボードで弾くと、ギターのニュアンスが全く感じられなくなります。管楽器などもそうです。
でもあえてそういう生っぽさを出さずにデジタルっぽくするには、デジタル音源のキーボードは便利に使えます。

 

 

 

もともと楽器は、演る人と聴く人との距離が重要だったのではと思います。
今だと、すぐれたPAシステムやヘッドフォンなどで、聴く場所や音量も自在ですが、昔はそうではありませんでした。
これは単なる想像ですが、金管楽器ーーいわゆるラッパは、金属音が遠くまで響きます。軍隊などで兵隊を鼓舞するのに、あるいはメッセージを遠くに伝達するのに、使われていたんじゃないかなと。

 

 

逆に、フルートやオカリナなどの木管楽器は、近くの人に向けてプライヴェートなメッセージを伝える、近くの人を楽しませる、といった趣きを感じます。アコギやバイオリンなど、弦楽器もそうです。
そんな歴史があり、人々のDNAに組み込まれているから、どんな音色も自在に操れる現代でも、曲想によって使われる楽器の音色がある程度限定されるのでしょう。
そういう風に考えると、アコギとエレキ・ギターは、似て非なる楽器であると言えます。

 

 

そして、今の音楽の世界では「何の音か分からない」電子音というのがあります。基本的には、既存の楽器の音をアレンジしたりなぞっていたりしているのですが、全く出所が不明な音も、時々耳にします。
数十年前、「テクノポップ」が生まれた頃、テクノのミュージシャンは、挙って「存在しない音」を出すのに四苦八苦していました。シンセサイザーで言うと、プロフェットとかヤマハDXシリーズが隆盛していた頃です。私もその頃、ヤマハDX21でいろんな音を作って楽しんでいました。

 

 

 

あれから数十年。普遍化されて今でも残っている音は、そんな無数の「新しい音色」の中の、ほんのひとかけらです。殆どが時代に淘汰されてしまいました。
そう考えると、今弾かれている楽器の音は、長い歴史の淘汰に耐えて生き抜いてきた音色だと言えます。
私が感じるに、20世紀のポピュラーな楽器の音として残りそうなのは、大きく歪ませたエレキ・ギターの音ぐらいでしょうか。これは、人の感性を解放させる偉大な発明だったと思います。あと、スクラッチ音やグリッチ音が、楽器として認識されたことも。(いつまで使われる続けるんでしょうか、気になります)

 

 

今は21世紀。私の存命の間に、20世紀のエレキ・ギターのように、後世まで残るような新しい楽器が発明され、新しい音色が生まれるのでしょうか。
今回のこの曲、ニューヨークの落書きから、ラスコー洞窟やアルタミラ洞窟など人類最古の壁画へと想いを馳せた、大風呂敷を思いっきり広げたような歌なので、懐かしめの音色でいきたいかなと。

 

 

 

 

エレキ・ギターのイノヴェーター、ジミ・ヘンドリックス。