【2018年5月26日】前回の続き。ミカドを聴きました 〜 全ての音が奏でられた後で

先日出来た曲のイメージとして、30年以上前のクレプスキュール・レーベルのアーティストたちの、淡いテクノの曲想を描いたことを書きましたが、気になって、実際にYouTubeを当たってみました。

 

 

一番気になったミカドを検索したところ、ちゃんと上がっていました。当時大好きだった「パラザール」も聴けました。
カシオトーンのリズムと手弾きのシンセ、そしてボソボソ呟くウィスパー・ボイスの音世界は、今聴いても全く色褪せていません。というか、当時から色褪せていて (黄昏て・セピア色っぽい) 、その景色は全く変わらなく見える、といった感じです。

 

 

 

思えば’80年代の中頃のこの時代、既にいろんなスタイルの音楽が出尽くした感がありました。
過激なノイズを出していれば「前衛」と言われた時代は終わり、産業としてのゴージャスな音楽が成熟していたこの時代に、鳴らしたい音のみを静かに・淡々と、己のセンスのみを頼りに鳴らすアーティストたちの静かな音楽は、その数年の間で目まぐるしく変化している、いろんな音楽を聴きすぎて耳が疲れていた?当時の一部のリスナーの耳には、とても心地良く響きました。

書いていて、今の状況と似ている気がしてきました。

 
ミカドの日本デビュー・アルバム「フォーエヴァー」のライナー・ノーツから、細野晴臣さんの寄稿文です。実に的を得ているので全文引用します。

 

 
「あれ?これってぼくたちのやりたい音じゃない!」
とTはさけびました。
「こんなのとっくにやってるよな、オレ達・・・」
とSはくちごもりました。
「でも結局、いちばんやり残してしまった音楽ね。」
と私は反省しました。
みんな心の中で「キュートな音楽っていいな-」
とくやしがりつつ、目はキラキラと輝きました。
キュートなんです。私達やあなたや
バカヤローめらが置き忘れたものは。
それはかわいいともステキともちょっぴり違う、
「愛らしさ」です。
それは「粋」という、
これも忘れられた繊細なニュアンスをしています。
こんなことを忘れるなんて。
私達やあなたやバカヤローめらはなんてバカだったんだ。
私達は古来、イキを重んじたのではなかったろうか。
私達は昔、お互いに愛らしい存在ではなかったろうか。
私達はごはんを食べる時、いただきますを忘れはしなかったろうか。
フレンチ・ギャルとボーイの音楽が、
日本人にこんなことを思い出させてくれる。
で、ノンスタンダードから
初の海外アーティストを紹介します。
それが愛らしい「ミカド」です。

 

– 細野晴臣-

 

 
(でも私は、このアルバムはオーバー・プロデュースではないかと当時感じました。そして今聴くと更にそう思いました。「パラザール」は超えていないような…。)

 

 

 

 

勝手にリンクさせていいのかどうなのか分からないので、画像だけ。
「MIKADO PARHASARD」で検索したら、YouTubeで聴けます。