【2018年8月1日】過去の記事から 〜「デヴィッド・ボウイの音源は、なぜ音程が外れているのか?」を考える

 

 

 

私の購入した、音楽制作ソフト「Cubase Pro 9.5」には「バリ・オーディオ」なる機能がついています。簡単に言えば、ボーカルのピッチ(音程)調整などの編集が出来る機能です。

今や誰もが知っていると思いますが、メジャー・インディーズ問わず、殆どのボーカルのレコーディングには大なり小なり、常套の機材として使用されています。歌の練習をする暇もない位忙しいアイドルの歌も、CDで聴くとちゃんと音程をキープしているのも、こういった機材のおかげです。

 

 

私も最初は面白くて、歌ったなりからその音源をいじったりしていましたが、すぐに止めてしまいました。理由は簡単で、つまりは、音程がジャストになったからといっても、歌自体はちっともよくなっては聴こえず、逆に、これはマズイんじゃないか、と感じたからです。

くるりの岸田さんが、以前、JAPAN誌の連載で同じようなことを書いていたのを思い出しました。こういうことだったのかと、腑に落ちました。

 

 

 

同じく、過去にWEBで読んだ音楽記事ですが、内容が素晴らしいので時々読み返している記事があります。それが、タイトルの記事です。

この記事は、グラミー賞を受賞した日本人エンジニア・プロデューサーであるヤギ氏が、エンジニアの仕事の本質を語っているものです。長い記事ですが本当に面白いので、音楽好きの方は是非読んでみて下さい。タイトルで検索したらすぐにヒットします。

 

 

記事中で、デヴィッド・ボウイさんの「ザ・スターズ」(「ザ・ネクスト・デイ」収録のシングル) の音程が不安定な事について、このように語っています。

 

 

 

それは「修正することに意味がない」からです。そこに音楽の「神髄」はない。「これを修正したほうがよくなる」という人がいたら、その人は「音」を聞いているだけで、「音楽」を聞いていないということになる。

 

音楽とはコミュニケーションです。歌い手がいて聞き手がいる。そこで一番大切なのは、聞き手の心に深く響くこと。たとえ音程がずれていたとしても、ボウイの歌声が心に響くのならば、それを生かしたほうがいい。なぜなら、聞き手は「音」を聞いてるのではなく、ボウイの身体から発せられた「音楽」を聞いているからです。

 

 

 

音楽の本質に触れる発言ばかりで、全て引用したくなります。(笑)

つまりは、「正しく」歌うことが、ゴールではないという事です。

表現は「間違い探し」「間違い直し」ではありません。欠点を潰していく事が、その作品を良くしていく事にはなりません。むしろ逆です。欠点?にこそ、その人の個性・独自性が表れます。これは歌に限らずです。

 

 

話をボウイさんに戻します。

この曲に限らず、ボウイさんは結構音程に無頓着です。ライブ・アルバムなど、外して歌うのが普通?な位に外しまくって歌っています。ピッチ修正して、完璧に歌うデヴィッド・ボウイ (笑)。想像もつきません。そう思うのは私だけではないかと思います。

でも、誰も「この人は歌が下手だ」とは言いません。むしろ、表現力の豊かなボーカリストとして評価されています。

 

 

日本人だと、有名どころだと忌野清志郎さんとか小沢健二さんも生(ナマ)の歌っぽいです。小沢さんは昔からエコーもかけませんね。おそらくですが、自分の喉とリスナーの耳との距離を、少しでも縮めたいのでしょう。余計なもの(修正やエコー等々)を、間に挟みたくないのでしょう。

 

 

ソフトのバリ・オーディオから、歌を修正する事よりももっと大事な事を教わった気分です。