【2018年9月6日】前回の続き 〜 名前はその人そのものです

ところで役者やミュージシャンなどは「芸名」を使う方がとても多いです。本名は日常というステージを生きる自分、芸名は表現というステージを生きる自分、と分けた方が、それぞれの場面を上手く立ち回れるからです。逆に言うと、表現のステージで生きていくには、大なり小なり日常性からの離脱が必要だからです。切り替えにはものすごいエネルギーが必要です。

昔はペンネーム、今はハンドルネームなども、日常性からのちょっとした離脱です。

 

 

役者の方など、芸名を名乗って、更には役中の名前のキャラクターをも演じているので、それこそ二重構造で演技をしている訳ですね。演技中は◯◯さん役に。演技が終わったら△△氏に、そして家に帰ってホッと一息ついたら本名 (素のキャラ) である××に戻る、という感じでしょうか。

 

 

ミュージシャンでも、日常的な表現をするシンガー・ソングライターは、割と本名の方が多いですが (私も本名をカタカナにしただけ)、ヴィジュアル系など非日常性が高い表現を行う方々は、ほぼ100%芸名です。非日常性と本名は相容れない関係にあると思われます。

 

 

 

私見ですが、ヴィジュアル系などの「なりきり」ミュージシャンの元祖は、私の知る限りデヴィッド・ボウイ「ジギー・スターダスト」(‘72年) ではないかと思います。

このアルバムは、本名デヴィッド・ジョーンズ改めデヴィッド・ボウイさんが、更に「ジギー・スターダスト」というキャラクターを設定して歌うという、演劇的構造のアルバムとステージです。こうする事によって、「ジギー」的な表現をやり尽くしたと思ったら、「ジギー」を引退させて、次の表現に向かうのも容易に行えます。(実際そうしている)

 

 

そしてここが重要なのですが、別キャラが歌うという設定にする事によって、歌われる表現の純度が、過去のアルバムに比べて劇的に上がっています。歌うテーマがギュッと絞られているからです。

ボウイさんは若い頃からいろんなタイプの歌を作っていましたが、「ジギー」以前のアルバムは、よく言えばバラエティに富んでいて、悪く言えば散漫なところもありましたが、「ジギー」は誤解 (誤聴き) のしようがないロック的なアルバムに出来上がっています。

 

 

 

因みに私の芸名ですが、本名だと面白くないし、かといってかけ離れた名前にする理由もないし、そう考えて何気に「ツボカワヤスロウ 」とカタカナにしました。後から知りましたが、そんな方は結構いらっしゃいました。スガシカオ、さだまさし、高橋ユキヒロ、遠藤ミチロウ、中島みゆき、宇多田ヒカル、つじあやの…。思いつくまま上げても10名以上は出てきます。やはり殆どがシンガー・ソングライターですね。(ユキヒロさん以外)

 

 

 

そう言えば、先日書いたプリンスさんや、あとマドンナさんって、本名だそうですね。日本で言うところの「キラキラネーム」ですね。直訳すると「王子」に「聖母」です。よくまあ名前負けせずに大成功して、ショウビズ界で生き抜いて来られたものだと思います。

 

 

 

 

若かり頃のマドンナさん。現在とのブレのなさは凄いとしか言えません。(還暦の今も、この画像のようなキャラです)