【2018年11月6日】業田良家さんのインタビュー記事から 〜 刺激のない音楽の魅力とは?ーーブライアン・イーノ、フリム、などなど

先日書いた「祝福の歌」で、気になって業田良家さんの言葉に関する記事がないか探したところ、インタビュー記事が上がっていました。「コミスン」というマンガのサイトで、「24ページあればどんな物語でも描ける」ーー『機械仕掛けの愛』業田良家インタビュー!という記事です。取材・構成は根本和佳さんです。

業田さんの創作の秘密が垣間見れる内容の濃い記事です。いろいろと考えさせられました。その中から一点だけ、少し長いけど引用します。

 

 

 

――『機械仕掛けの愛』の各エピソードを、ネタバレしないように説明すると、何も起きてないような文章になってしまうんですよ。「担任だったロボット先生に会いに行く話」とか「しゃべる自販機が悩み相談するんですよ」とか(笑)。

 

 

それはこういうことかもしれない。順を追って説明すると……すごく楽しいことがあって心が躍っている状態、僕は好きです。みんなもそうだと思う。でもね、もっと好きなのは、静かな心でいるとき。明鏡止水というか。激しい喜びっていうのは、すごく楽しいけど、どこかに苦しさが含まれる。心が強く動くときに、うれしいんだけど、苦しさを感じるんです。それよりも、静かな心でいるときのほうが幸せ。そのほうが喜びも深いし、長続きする。実はそれは、読者に伝えたいことのひとつでもあるんです。激しい喜びには苦しみがちょっとあって、それよりも静かな心でいるほうが人間は幸せなんじゃないかなって。
でも、マンガにはエンターテインメントの部分がなくちゃいけない。ちょっと矛盾しますよね。そこに難しさを感じつつも、ただ刺激を与えるだけのものは絶対作りたくなくて。やっぱり何か発見があって、その発見に対する感動をしてもらいたい。そういう想いがあるから、哲学的なものとか、みんなが気づいてないことを描きたい。みんなが気づいてないことに自分が気づいて、それを提示したい。だからどうしても地味になるし、僕の話をあらすじで書いたら平凡で、何も起きてないんじゃないかみたいなものになってしまうのかもしれないね(笑)。

 

 

 

いかがでしょうか?

私はこれを読んで、自分が好きで作る音楽と、周りの親しい方が好む音楽とのギャップによるジレンマの理由が、ちょっとだけ解けた気がしました。

 

 

そして私が業田さんのマンガに惹かれた理由がよく分かりました。つまり、人生観ならぬ、しあわせ観が、私のそれと似ているからです。何も起こらず、静かな心でいる時のしあわせな気持ち。日が昇って暮れていくだけの、とりたてて何も起こらない日々。

 

 

音楽もマンガ同様、楽しくて刺激的でないと中々聴いてもらえません。大概の人々はジェットコースターのような刺激的な音楽を求めています。

もちろん私もそんな音楽も好きなのですが、何年間何十年間も長く聴き続けているのは、数日前に上げた「スウィート・ジェーン」のような、起伏のない、淡々とした曲ばかりです。

 

 

以前に上げた、エレクトロニカのフリムさんや、環境音楽のブライアン・イーノさんの音楽など、その最たるものの一つだと感じます。音響が、ではなくて、時間の流れが、です。だからお二人とも、ピアノのみでも、エレクトロニカでも、本質は全く同じです。

実際に、商業ベースでなく、自分の楽しみで自分が心地よい時間を刻む、そんな音楽を作っていらっしゃる方は、あちこちにいらっしゃるかと思います。

 

 

私の作る、そんな思いを込めたいくつかの淡々とした曲たちを心地よく聴いてくださる方は、残念ながら数える程度しかいらっしゃいません。それはひとえに私の力不足に因るものです。日々コツコツとやっていくしかないなあという感じです。

 

 

 

上記の記事より、業田良家さん。勝手に載せちゃいました。。

 

 

 

こちらはブライアン・イーノさん。