私自身、UFOやおばけなどの超自然現象と呼ばれる類いに関しては、全く体験した事はありませんが、体験した人の話しを聞くと、何故かいつも納得します。UFOは今日もどこかで飛んでいるし、おばけもどこかで出没しているのでしょう。
そして、これは私だけではありませんが、見たことも触ったこともないのに、インフルエンザはウィルスが発症の原因だと、頭から信じ込んでいます。
同じ見えない存在でも、おばけやUFOを胡散臭く感じる人が多くて、インフルエンザ・ウィルスは万人が存在しているとみなしている、この差は、全て「科学的に証明されているかどうか」で決まります。でも考えるに、その科学だって、元々はヒトの想像力 (仮説) からスタートしているのが多いのではないかと。古今東西の発明や証明は、全て想像力からスタートしているのではないか、そう思います。
「分からない事」を想像する行為はとても楽しい事です。ヒトの特権です。音楽だってそうです。
「想像上でしか聴こえない音」を探して、あるいは今の音楽理論では説明出来ない「快音」を追求して、日夜苦労しているミュージシャンが数多にいらっしゃいます。
今普通に音楽として心地良く聞こえる、スクラッチ・ノイズやグリッチ・ノイズ、エレキギターの歪み音も、元は単なる雑音でした。今ではポップスで当たり前に使われている、セブンスやテンション・コードも、昔は不協和音とみなしていた人が多かったそうです。
この記事で印象深かった箇所です。
…だが、記者が取材を盛り上げるつもりで、“ある話題”を振った時、それまで和やかに進んでいた取材の雰囲気は一変した。
「UFOは実在するのですか」――と。
この話題を振ったとたん、三上氏は熱を帯びた口調でこう語り始めた。…
人がどう思おうが、自分の信じるものを100%肯定出来る人は、真偽は別として、実にしあわせなんじゃないかと思います。信じる者は救われる、とは、宗教に限りません。その宗教だって、他人に迷惑さえかけなかったらどんな宗教を信じようが全然OKだと思います。(お金が絡んだり、他人を巻き込もうとするから、胡散臭くなる)
音楽だって、分からない人が聴いたら「こいつは頭がおかしくなったんじゃないか?」と心配するような音がたくさんあります。一種の超常現象のようなものです。
鈍感な私には、おばけもUFOも全く感じる事が出来ませんが、せめて少しでも感じることが出来る、音だけでも、「聴いたことのない音」に出会えるように、先入観を持たずに、想像力を張り巡らして、日々接したいなあと。