【2019年2月16日】五十肩の日々 〜 「謡曲 敦盛」に思う

最近ギターやピアノをあまり弾かなくなったのには、レコーディングが打ちこみメインになった事だけではありません。肩の痛み、いわゆる「五十肩」の為でもあります。

五十肩とは、「肩の痛みと運動制限をきたす疾患。四十肩とも。正式には肩関節周囲炎(英: shoulder periarthritis)という疾患群のことで、肩関節の周囲に起こる炎症のこと。」(ウィキペディアより)

 

 

私の場合、左肩の痛みだけなのですが、これが、ギターのコードを押さえる際にいちいち痛みが走ります。椅子の肘掛けに肘を乗っけて弾いています。去年の秋ぐらい?冬?気がついたらこうなっていました。ちなみに、私の周りにも数人、この五十肩に悩まされていらっしゃる方がいます。

 

 

これも加齢の一種なのでしょう。私のかかりつけのお医者さんには、常々「50過ぎたら何があってもおかしくないから」と言われています。しょうがないと諦めて付き合うしかありません。

 

 

 

自分的には、50歳というのは、大きな節目でした。以前にも書いたことがありますが、私は幼少の頃、もの凄く身体が弱くて、子ども心にも「何とか20歳まで生きていたい」と思っていたものでした。

それで、その頃好きだったマンガ「アストロ球団」の名ライバル、リョウ坂本が打席に向かう際に口ずさんでいた(笑)「謡曲 敦盛」の一節。

 

 

人間五十年 下天の内をくらぶれば   夢幻の如くなり

 

一度生を得て 滅せぬもののあるべきか

 

 

この、かの織田信長が好んだ一節 (後から知った) に、子ども心にもいたく感動して、「ハタチの次は50歳だ」と思ったものでした。

 

 

 

そして、50歳を過ぎてはや数年。つまりは何というか、自分的には、余りの人生なんですね、今は。

肩は痛いし、アレルギー症状は出るし、疲れがとれにくくなっている毎日ですが、偶然にも生かして頂いていると思えば、余りだと思えば、さほど大変でもありません。無理せずに、日々楽しみたいなあと。

 

 

 

 

能楽師の榮夫師筆。大意は「人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」(ウィキペディアより)