【2019年2月17日】今は、「人間五十年」どころか、老人化を拒否する社会になりつつあります

数日前から「人間五十年」と繰り返していますが、実際のところ、今の社会は、五十年どころか「生涯現役」「人生百年」感に溢れています。

 

 

私の知っているご年配の方ーー70歳を超えている時々行く呑み屋のマスターや親戚の叔父さん叔母さんなどには、いわゆる昔の「老人」的な雰囲気が、微塵も感じられません。壮年期のバリバリな感じのまま歳を重ねていった、そんな感じです。

 

 

ミュージシャンもそうです。ポール・マッカートニーさんやローリング・ストーンズの面々をはじめ、70を超えてる方々も増えてきていますが、世界的アーティストでいわゆる老人的な枯れた表現をなさっている方はあまりいないような気がします。皆さん青年的で若々しいなあと。(老人っぽいのはボブ・ディランさん位かな?)

昔、ロックは「ドント・トラスト・オーヴァー・サーティー」(30歳以上を信じるな) だったのですが、時代は変わるものです。

 

 

 

私の若い頃を思うと、その頃イメージしていた50代、60代というのは、既に「半分終わった」いや、プラスに言うと「半分悟った」、そんなイメージでした。いつの時代から、人はこんなにも若々しくなったのかなあと思います。悪くいうと、いつまでたっても未熟なままなのかなあと。

 

 

老人化することは、決してマイナスだとは、私は思いません。むしろ、いまの社会に必要なのは、老人視点 (「死」を意識した視点) でものを見たり感じたりする、そんな姿勢ではないかとさえ思います。

 

 

最近とみに増えてきている幼児虐待など、家におじいちゃん・おばあちゃんがいたら、こんなにも起きていない事件なのではないかと思います。

何故かと言うと、家族に他者が何人かいると、自我はあっちにもこっちも注意が行くので、弱い一人に集中化しないからです。幼児虐待は、イジメの構造と似ています。(以上、持論なので間違っているかもしれませんが)

そう考えると、核家族化は善し悪しなのではないかと思いますが、時代はそういう方向に進んでいるので。。

 

 

会社のパワハラも然りです。職場でも、いろんな考えをもついろんな年代の人がいて、ああだこうだ言いながらもバランスが取れるのでは、そう考えます。どうも今は偏りすぎているような気がします。

 

 

 

このところ私の書く歌は、老人視点のが増えています。肉体の衰えは別として、精神は、老成していく事は人にとって必要というか、しあわせな事ではないかと感じます。今後もそんな歌を書きたいなあと思います。

 

 

 

 

若い頃から老人っぽい、ボブ・ディランさん。ライヴ・アルバム「武道館」。’78年にリリースされています。

このジャケットは幾つの頃なのか調べたら、何と37歳。今の時代の37歳の周りの人と比べてみて下さい。。

 

下は、数十年後。オーラは変わっていませんね。