【2019年4月21日】先日出来た「春酔唄」から、「酔生夢死」について考えました

「酔生夢死」(すいせいむし) という言葉があります。これは「酒に酔ったような、また夢を見ているような心地で、なすところもなくぼんやりと一生を終わること。」(「デジタル大辞泉」より) という意味です。更に言えば「有意義なことを一つもせず、むだに一生を終えること。」(大辞林) です。決して前向きな言葉として捉えられてはいません。

 

 

でも私は若い頃に、何で知ったかは憶えていませんがこの言葉を知って、深く感銘を受けました。もちろん、良い意味でです。

ここで比較されている「有意義なこと」と「むだ」って、そんなに違うことなのかなと思いました。いや、むしろ、同じようなものなんじゃないかと。そう考えると、「酒に酔ったような、また夢を見ているような心地」で生きていけること自体、それはステキなことなんじゃないかなと。

「春酔唄」は、作っている途中からそんな思いも込めて書いてみました。

 

 

 

お酒を呑んだり、音楽を楽しんだりして日々を過ごしていくことは、正に「酔生夢死」な人生です。いわゆる生産性がないからこそ楽しいんだと思います。

それで、更にネットで調べてみると、やっぱり私のようにプラスの意味にとっている方も昔から多くいらっしゃるみたく、そんないろんな含蓄があるからこそ、この言葉は今まで残っているのでしょう。

 

 

英語でこのプラスの意味の方を訳すと「to live freewheeling」だそうです。「freewheeling」は、直訳だと「タイヤが外れた」で、「ルールなどにとらわれず自分の好きにすること」という意味だそうです。

「The freewheeling」は、ボブ・ディランさんのセカンド・アルバムのタイトル。「風に吹かれて」が入っています。

ディランさんが「酔生夢死」という言葉を知っているかどうかは知る由もありませんが (多分知らない)、正にボブ・ディランさんの歌にピッタリという言葉だという気がしました。

 

 

 

 

最強の酔生夢死肯定ソング「ライク・ア・ローリング・ストーン」を歌う、若き日のボブ・ディランさん。

 

私は勝手に「肯定している」と捉えていますが、この歌は読みようによっては、そういう生き方を否定しているようにも読めます。読む人によってどちらでも読めるところが、ディランさんの歌詞の素晴らしさです。