先日、知人とお酒を呑みました。丁度その知人には「ハッピー・バースデー」をプレゼントする予定で、つい数時間前に上がったその音源CDRを持って出掛けました。
話も弾んで、あっという間に時間が過ぎていきました。いろんな話しをしたので、多過ぎで逆に何を喋ったか憶えてない程です。
その中で、何かの拍子に「人生って帳尻がちゃんと合うように出来ているよね〜」という話になりました。一夜過ぎた今日となっては、呑みすぎた事もあり、何についてそんな話になったのかちゃんと憶えていないのですが、この言葉だけは頭に残っていました。
最近一番のマイ・ヒットな出来事に「昔捨てたと思ったアナログ盤が見つかった」があります。あまりにうれしくて、ブログ記事に何度も上げている程です。
それで、そんなに大切にしていたアナログ盤を、引越しの際に、親に、引越し先に持っていくかどうするかを聞かれた際、簡単に「全部捨てていいよ」と言った事について、自分なりに掘り下げて考えてみました。
捨てようと思った理由について、以前の記事に「捨てようと思った理由として、多分その時はレコードなんてもう聴かないだろうと安易に考えていたんだと思います。聴きたくなったら、CDで買い直せばいいやと。…」このように書いていました。
でも今思うに、そうではないような気もしました。深く考えると、つまり、当時生活の全てだったこれらのレコードを捨て去る事により、その、当時の生活を、バッサリと否定したかった (=サラリーマンとして多忙な現在を肯定したかった) のではないかと。
参考記事:「朗報!大量のアナログ・レコードが見つかりました! ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆」
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時が過ぎて、気がついたらいつしか、リスナーとして音楽を楽しむ事プラス、音楽を作って楽しむようにもなっていました。
そんな今となって、ハッキリと言えるのは、毎日しがみつくようにレコードばかり聴いていた、当時の闇歴史?があったからこそ、今になって自作がポンポンと出来るようになったのではないか、という事です。つまりは、当時の自分に (いい意味で) 復讐されている訳ですね。
そんな自分自身の事を振り返って、これが「人生の帳尻が合う」という事なのかと思いました。
今の時代、イジメに遭って引きこもったり、ブラック企業で心労が激しかったり、世の中豊かになったとは言え、生きにくくて大変な人々も、大勢いらっしゃいます。
そんな方々に一言。そんな経験も、後から必ずプラスに働く時がきっと来ますよ。
何の因果か、最近のyahoo!ニュースで、「冨士眞奈美『人生は帳尻合えばいい』…認知症役を熱演した名女優のポリシー」という記事がアップされていたのも思い出しました。調べたら、5/3の記事でした。合わせて載せておきます。