「ロックはもう死にかけ?」という、今朝のこの記事を読んで思った事です。
人によって「ロック」の定義が違うので、そういう意味では、聴く人によってロックは終わっていたり、終わっていなかったりします。
この記事を書いた記者は、単純に、ギターやドラムがうるさく響き、ボーカルがシャウトする、そんな音楽の事を「ロック」という言葉で表現していて、たしかにそんな音楽は、日本以外の国では過去の表現スタイルになりつつあるみたいです。間違いなく死にかけています。
実は、私が感じるロックは、音楽スタイルの事ではありません。
「衝動を表現する音楽」「体制や常識に対して疑問を問いかける音楽」「内なる心のモヤモヤを掬う音楽」「テクが凄くてとにかく圧倒的な音楽」…。ロック好きの人の中に、それぞれいろんな「ロック」の定義があって、その内なる定義に従って、「◯◯はロックだよ」「◯◯はロックじゃない」「◯◯はもう終わった」と思ったり、他人と議論したりするんじゃないかなあと。
私も若い頃、ロック好きの友人とは、そんな話ばかりして盛り上がっていました。
私が思うのは、終わったと感じた人の中では終わっているし、いや、まだまだ凄いロック・ミュージックは一杯ある、と感じている人の中では終わっていない、そんなもんじゃないかなあと。つまり、リスナー次第かなあと。
かつて、エイフェックスツインの電子音にふれた時、エミネムのラップを聴いた時。それからブライアン・フェリーやオザケンのフニャフニャしたラヴ・ソングも。私は「これはロックだ!」と感じて聴いていました。いずれもうるさいギターなんて鳴っていないんですが。つまり、時代と共に音楽スタイルが変わっていっても、表現の質が「ロック」なら、それはロックなんじゃないかと。
それで、私にとってロックとは何だったかと問われると、以前にもちょっと書いたことがありますが、それは「本当の事をうたっている歌」、これに尽きます。
何が本当で何が本当でないか、は、上手く説明出来ませんが。言い方を変えると、内なる真善美に則して表現されている歌 (音楽) という感じかな。難しいですね。
そんな音楽を、どうして爆音で聴くのかと言うと、大きな音でちっぽけな自我を吹っ飛ばす為です。これは、いつの時代の、どんなスタイルのロックでも必ずそうだと断言出来ます。
なので、先程の定義をより具体的に言えば「ロックとは、とにかく大きな音で聴く音楽」という言い方も出来ますね。
今どきの若い子は、そのような音楽を語る際には、既に「ロック」という言葉を使ってないと思われます。そんな意味では、世間的・音楽ファン的には、やはりロックは終わりつつある音楽なのかもしれません。
私の中でロックはいつ終わるか分かりませんが、そんな事を考えている限りは、聴き続けているんじゃないかと思います。