【2019年6月4日】実家のレコードから 〜 日本のニュー・ウェイヴを思う

 

先日実家に帰った際に、前回帰った時の続きのアナログ盤の整頓を行いました。

 

 

 

量の多さに途方に暮れててもしょうがないので、先ずは、和モノと洋モノという、ザックリとした区分けを行おうと思いました。それで分け始めて気が付きましたが、和モノの殆どがCDで所有してない音源でした。洋モノは後からCDで買い直してのも結構あります。

 

 

あまりにマイナーなのが多くてCD化されてないのが多いのと、日本のニュー・ウェイヴ自体、この当時のみ輝いていた一過性のジャンルだったので、ジャンルの衰退と共に自分内でも忘れていった、そんな理由からです。j−ポップという名称が付く、遥か前です。

 

 

 

ジャケットを見ながら音を思い出して、何であの頃は、こういう音楽(日本のパンクやニュー・ウェイヴ)を、時々ながら聴いていたんだろうと、考えてみました。

 

 

洋楽パンク/ニュー・ウェイヴが、従来からのロックやイデオロギーのカウンター表現であり、同時に、60’sのビート・ミュージックの進化形であったのに対し、日本のそれは、そんな洋楽の単なる「模倣」です。実際に、洋楽パンク/ニュー・ウェイヴに比べて薄っぺらい音が多かったように記憶しています。

 

 

ところが、模倣・ニセモノ、だからこそ、フェイクだからこそ、輝いていた表現もいくつかありました。

YMOやP−モデル、プラスティックス、ヒカシューなどの、当時テクノポップと呼ばれていた、コンセプチュアルな音楽たちです。

 

 

YMOやP−モデルは、フェイクと言うにはあまりにもプロフェッショナルでしたが、プラスティックス、ヒカシュー、あとテクノではありませんがゲルニカ、などには、そのチープな音から、これぞ日本の音楽、といった趣のオリジナリティを、当時は感じました。

 

 

これらの音楽を、今聴いたらどう感じるのでしょうか?興味深いものがあります。おそらくYouTubeで簡単に聴けると思いますが、せっかくなので、発掘したレコードに針を落として聴いてみたいものです。その日が来るまで、心の中に眠らしておきたいなあと。

 

 

 

その一部。