【2019年7月29日】フジロックはアーティストとの再会のメディア 〜 平沢進+会人(EJIN) とザ・キュアを観て

フジロック最終日。私もオフ日で、YouTubeで生配信しているライブを自宅で観ました。

とは言っても、私は普段ネットをあまり利用しないのでネット環境は低ギガ契約にしているので、お昼に観続けると夜に観たいアーティストが観れなくなるので、お昼はそこそこにしましたが。

 

 

 

それで、本格的?に観始めたのが、夜8時の、平沢進+会人(EJIN) からラストまで。平沢進さんは、私の少年時代によく聴いていたニュー・ウェイヴ・バンド「P−MODEL」のリーダー。当時はカリスマ視されていました。

 

 

ソロになってからは全く聴いてなくて、こうしてじっくりと向き合って聴くのは、実にP−MODELのアルバム「カルカドル」(‘85年) 以来かもしれません。その音楽性の変わらなさ、というか、時代が平沢さんに追いついた感を凄く感じました。近年のボカロ楽曲のルーツのように聴こえます。

中盤位に長めの曲が続いて、この辺は元々プログレ・バンドを演っていた資質が表れているように感じました。(それとも、ソロの曲は元々長いのかな?)

時折映る会場の観客の、おそらく90%以上が男性 (若い子も多い) だったのも、昔から変わらないなあと。

P−MODEL時代の「フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ」を演っていて、ちょっとこみ上げてくるものがありました。

 

 

 

平沢進さんの後は、ザ・キュア。こちらもP−MODELと同じ頃、私がお世話になった?バンドの一つ。当時は暗黒系というか、暗く落ち込んだ曲ばかりでした。ところが‘80年代中頃から音楽性がポップに開けていって、世界的に大ブレイク。フジロックでも今やグリーン・ステージの大トリです。

 

 

実は私は、マニアックなファンの悪いクセ?で、その辺から全く聴かなくなったのですが、こうして30年以上ぶりにちゃんと聴いてみると、やっぱり基本的には全く変わっていないなあと。当時変わっていったのは、キュアの音楽性ではなく、私の心・感性であって、だから聴かなくなっていったのでしょう。

アンコールで、そのポップになり始めの頃の曲「レッツ・ゴー・トゥ・ベッド」「ザ・キャタピラー」「クロス・トゥ・ミー」を演ってるのを観て、ポップだけどやっぱりマイノリティな曲たちだなあと。

 

 

 

一番楽しみにしていたジェイムス・ブレイクさんは何故か配信されませんでしたが、キュアを最後まで観れたので満足でした。

平沢進さんやザ・キュアに限らず、自分のリスナー歴史の中でいつしか埋もれていったアーティストたちに再び出逢える、フジロックはそんな場所でもあると実感しました。