【2019年8月12日】「死について思うこと」「祭の夜」再レコーディング・ミックスダウンしました〜 お盆に、死を思う

去年作った「死について思うこと」の見直しを行いました。

すごく地味な曲なので、アレンジにもう一工夫必要だと思っていたのですが、新曲ばかりにかかりっきりでしばらく寝かせたままになっていました。

最近になって、アルバムにまとめるのに過去曲の見直しを行なっていて、ようやくこの曲まで手が届いたという感じです。

 

 

この曲は自分の思想をそのまま歌っているような歌で、地味なりにも、人様にちゃんと届けたいなあと思い、試行錯誤をいろいろと重ねて作った、苦労曲です。

今回新しくしたところは、曲のイントロにセミの鳴き声を入れたところ、ストリングのアレンジを変えたところ、歌を一部歌い直したところ、それから全体のミックスの調整、などです。

 

 

 

この曲と「舞踏会」「祭の夜」は、自分なりの「生と死」についての三部作です。

意識していた訳ではありませんが、お盆を前にしてこの三作が完成したのは、無意識にも締切 (今年のお盆) を設定していたのかもしれません。

 

 

「死について思うこと」がひと段落ついてから、「祭の夜」に取り掛かりました。この曲の二番目の歌で、ちょっと音が割れる所があり、その部分だけを直しました。重苦しい曲ですが、親やご先祖様を弔っている歌です。

 

 

 

思うに、生は死の反対にある、不幸なもの・忌み嫌うものではないという事です。死にたくない、は、単なるエゴです。

観測によれば、宇宙はおよそ138億年前に誕生したそうです。(ウィキペディアより)

我々の人生は、長生きして100年。138億年の中で、たった100年。つまり、宇宙の中で「私」なんか居ない (=存在してない) 状態なのが当たり前なんです。自分の命は、単なる奇跡的な偶然に過ぎません。

 

 

因みに地球誕生から現在までの46億年の歴史を1年365日のカレンダーで表すと、人類 (ホモ・サピエンス) 誕生は、12月31日午後11時37分だそうです。農耕・牧畜が始まるのは、11時58分52秒。キリスト降誕が、11時59分46秒。20世紀が始まり終わるのが、11時59分59秒。(以上、ウィキペディアより)

 

 

 

ほんの一瞬の稲光りのような生に執着するのは人間の性 (さが) です。そして、それについて考えるのも、人間だけです。他の生物は、ただ生まれて死んでいきます。

人間だけが、どうしてそんな当たり前な事に悩むのでしょうか?そんな想いを、この三曲 (と、ちょっとテーマが違いますが「カーニバル」) で表現してみました。

 

 

一人でも二人でもいいので、届けばいいなあ。