先日たまたま某サイトで、今をときめくアーティスト、ビリー・アイリッシュさんの「アイ・ラヴ・ユー」のライヴ映像を観ました。バックの音はほぼギターのみのシンプルな弾き語りアレンジで、私の耳にはこの古典的?なアレンジが、彼女のスタジオ・テイクの今時の音よりも、耳にスッと入ってきました。
そのライヴで聴くビリー・アイリッシュさんの歌は、私の好きな女性シンガー・ソングライターたち ーー ジョニ・ミッチェルさんや宇多田ヒカルさん…らと同様、「ほんとうのこと」を歌う、極めて純度の高い歌に聴こえました。
私でも感じることが出来たその表現の純度の高さは、オーディエンスが証明しています。
時折映るオーディエンスの殆どが、ティーネイジャーの女の子。涙を流して聴いている子が沢山います。ライヴでは凄いことになっていると活字では読んで知っていましたが、実際にその様子を観ると圧巻でした。
ところで、それで感動して私もビリー・アイリッシュさんを聴くかといえば、残念ながらそうではありません。ついつい昔馴染みの音を聴いてしまう自分がいます。
私は特定のアーティストやジャンルのファンというよりも、(流行りの)音楽のファンなので、新しい音楽には興味もあり常に触れてはいるのですが、100回・200回と聴くような、いわゆるヘヴィロテ曲は、そのほとんどが10年以上、15年以上、も前の曲ばかりです。
このビリー・アイリッシュさんや、日本人だと米津玄師さんなど、こうして時々聴くと、その純度の高い音楽性に驚くのですが、何故か50回も100回も、聴けない。(おそらくヘヴィロテ化している若い子はたくさんいると思います)
逆に、ネットで過去の音源を漁っている若い子らは、「昔のもいいんじゃねー」と言いつつ、ヘヴィロテは今時の曲、というパターンかなと想像します。
これが歳を重ねるということかと、女性が鏡を見て感じるようなことを、リスナー体験から感じるここ数年です。
それでも、ほんの数回だけでもそんな感動を頂けることに感謝して、めげずに新しい音を聴き続けるここ数年です (笑)。音楽体験も、一期一会になってきました (笑)。