【2019年10月2日】高橋鮎生「アウトサイド・ソサエティ」に思う

数週間前に知人に焼いてもらったアルバム、高橋鮎生「アウトサイド・ソサエティ」を、頻繁に聴いています。

 

 

このアルバムは高橋鮎生さんの最新アルバムで、自主制作でリリースされています。知人は、金沢市恒例の「ジャズ・ストリート」(毎年市内で行われている、市内のジャズ・フェスティバル) で、たまたま、演奏して歌う高橋鮎生さんを観て、その場で手売りしていたこのアルバムを購入したとのことです。

 

 

 

数ヶ月前になりますが、私は鮎生さんの自伝である著書「アウトサイド・ソサエティ」を購入して、このブログ記事にも上げました。

このアルバムはその自伝に基づいたコンセプトで作られています。その自伝本がとてもユニークな内容だったので、そんな情報を知りとても興味深く聴きました。

 

 

一聴して感じたのは、この音楽は、今どきの商業音楽 (大衆音楽) とは、明らかに一線を画す、極めて個人的な音楽だと言うこと。だから敢えて自主制作でリリースしたのかなあと。

西洋の伝統音楽や黎明期のプログレッシヴ・ロック、民俗音楽の音階や楽器、日本の尺八、ポエトリー・リーディング…。こう書くと、今の耳で聴くとイロモノっぽい音楽を想像してしまいそうですが、これがごく普通に耳に馴染みます。

 

 

ニューヨーカーの鮎生さんが、日常的だった当時のロックではなくて、西洋の奥深い森のような音楽に自身のアイデンティティを投影している感じがしました。そこが面白いなあと。

思えば自分だって、雅楽や民謡や歌謡曲など日本語で歌われる日本の音楽よりも、海の向こうの音楽によりリアリティを感じている訳です。自分の生まれ育った故郷と、内面世界の故郷は、別ものなのかもしれません。

 

 

 

そう言えば、自分の好きになる音楽は、ロックでも、いわゆる「ルーツ・ミュージック」的な音ではありませんでした。

「何処に居ても、何処に行っても、違和感を感じてしまう」そんな人が奏でる、違和感の表現、です。スタイルに安住しているような表現は、それだけで聴き心地がよくないなあと。

このアルバム「アウトサイド・ソサエティ」は、まさにそんな音楽です。何処に居ても馴染めない、アウトサイダー人間が奏でる音楽。

 

 

 

クレジットを調べたら、このアルバムで尺八を吹いているのが、尺八奏者の中村明一さん。奇しくも中村さんの著書「倍音」も、かなり以前にブログ記事で上げています。いろんなところで糸が繋がっているなあと感じます。中村さんの演奏もたっぷりと堪能出来て満足です。

今どきの新しい音楽を追いかけている人にこそ、聴いてほしいアルバムです。

 

 

 

⤵︎ クリックで読めます。

 

 

AYUO「OUTSIDE SOCIETY あるサイケデリック・ボーイの音楽遍歴」購入しました

 

久しぶりに音楽の本に触れました 〜 「倍音」中村明一 著

 

 

 

 

 

こちらは本の方。