【2020年5月4日】実験音楽の水平線の果てにはポップスの地平が見える 〜 ‘80年代初めのアヴァンギャルド音楽を聴きかえして

今日は久しぶりに実家に帰ってレコードを聴いていました。

自然と手が伸びたのが、ニュー・ウェイヴ期の前衛音楽のレコードたちです。前衛音楽という言葉、今は死語かもしれませんが。

 

 

 

前衛音楽というのは、ヒトが聴いて「快」と感じる音 (いわゆる音楽)と、単なる雑音に聴こえる音 (つまり音楽になっていない音) ーー その境界線を認識して、その「音楽」と「雑音」の境界線で鳴っている音を、グイッと少しでも、音楽の方に押し拡げる、そんな行為ではないかと、昔から漠然と思っています。

だから、分かる人、聴こうと耳をそば立てる人にしか、音楽に聴こえない=分からない人には単なるノイズ、に聴こえるのでしょう。

 

 

かつて前衛音楽は、ジャズやプログレ等のインプロヴィゼーション (即興音楽) が主流でしたが、’70年代の終わり〜‘80年代の初めにかけてのパンク〜ニュー・ウェイヴ期から、演奏だけでなく、レコーディングのプロセスも、音楽性を決定する重要な要素になってきたと感じます。演奏テクニックがなくても音楽が出来る時代の幕開けです。

 

 

 

私が今日聴いていたのは、そんな時期のレコードです。

今どき、いろんなノイズをサンプリングして規則化して聴かせるのは、その辺のアマチュア・ミュージシャンでもすぐに出来るのですが、PCやサンプラーもないこの時代、制作はほんとに大変だったんだろうなあと。

 

 

 

ちょっと話は変わりますが、私と同じぐらいの年代でダブが好きな方は、必ず、ニュー・ウェイヴのアヴァンギャルドな音楽を聴いていた人だと断言出来ます。

ダブは、音楽の境界線を広げた大成功例です。ダブなくしてヒップホップもエレクトロニカも産まれていません。

ダブは一聴して、メロディが壊れていて難解な音楽に聴こえますが、実はそんな事はありません。大きい音で鳴らすと心が解放される、実に気持ちのいい音楽です。

 

 

今日聴いていたのは、そんなダブの気持ち良さまでは到達出来ずに、悪戦苦闘していた音たちです。

それでも、当時はお経のように聴こえて眠くなったり、只々うるさくて買ったのを後悔しつつも、せっかく貯めたお小遣いで買ったからと、無理矢理聴いたりで、つまりはちゃんと自分の中で消化出来なかった音たちです。

 

 

 

それで、40年近く経って聴いて、どう聴こえたかというと、これが、どれもポップに聴こえます。何で当時はグシャグシャした音に聴こえたんだろうと思うくらいに、どれもポップで聴きやすい。

おそらく、多くの有名無名のミュージシャンたちの努力で、少しずつ、少しずつ、ヒト (私) が音楽と感じる領域が広くなってきたのでしょう。

ありがたいなあと、しみじみ思います。

 

 

 

 

 

回っているレコードは、キャバレー・ヴォルテール「ザ・ヴォイス・オブ・アメリカ」。