本日8時に、新型コロナウイルス退散祈願で、全国各地で花火が打ち上げられています。
私はこのニュースをみて感動しました。やるなあ!と思いました。花火で、ではなく、このイベント自体にです。
以前、哲学者であり武闘家である内田樹さんの本で、人が人たらしめる行為は死者を弔う行為である、という趣旨の文章を読んだ事があり、我が意を得たりと、いたく感動した覚えがあります。父親が亡くなってから数年後に読んだと記憶しています。
単純に死者を弔うということは、死んでしまって単なる「物質」と化した肉体よりも、「心」「精神」こそが人間たる証だと、人類が認識している証明ではないかと思います。
だって人間=肉体、だったら、死んだらそこでお終い、の筈です。(現代はそうなりつつあるのが怖いのですが)
この花火打ち上げのイベントは、大昔から人間が行なっている基本的行為「祈祷」です。死者を弔うこと同様の「祈る」という行為です。雨乞いとかと同様に。
祈ってどうなる?という方も多いかと思います。何しろ近年は、除夜の鐘でさえ「うるさい」とクレームを付ける人がいて、やむなく中止にするお寺もある位ですから。
そんな方でも、TVやカーステ等で聴いてお気に入りのJ−POPなど、一曲ぐらいはあるのではないかと思います。
実は、歌も「お祈り」の一種ではないかと。音に合わせて声を震わせるだけで、そこには何の生産性もありません。でも少なからずの人々は、コロナ禍の生活の中で、歌に救われたのではないのでしょうか。
「歌」同様に、魂に訴えるこの花火イベント。全国各地で偶然にも花火を観た人の、その魂が浄化される事を、心から願います。
(追記)
何気にコメントみてたら、こんな方が。読んでて私も泣きそうになりました。
もう、花火見てたら、泣けて泣けて………。
もうね、コロナ腹立つし、コンチクショーやし、みんな下向いてるし、イライラビクビクしとるし、どこも行かれんし、行ったら叩かれるし、テイクアウトして助けたいし、テイクアウトもやたらしよると金なくなるし、どこの店も閉まってるし、廃業するとこもあるし、もうムチャクチャやわ。
でもな。
頑張ろ。
負けられんて。
負けてたまるかやて。
花火でも見て、落ち着こうや。
花火の業者さんも、大変よ。
みんな、大変。
お疲れさん。
ありがとう。