【2020年7月20日】岸田繁×鳥飼茜の対談記事を読む

 

 

 

 

先日の朝日新聞デジタルの記事「岸田繁×鳥飼茜『誰か、はよ気づいてや』自分だけのテーマを煮詰める喜びと孤独」を読んで。

岸田繁さんは、ロックバンド「くるり」のフロントマン、鳥飼茜さんは漫画家。

 

 

クリエイター二人が創作について語っています。ちなみに私はくるりは聴いていますが、鳥飼さんの漫画は読んだことありません。

 

 

 

くるりの岸田さんは、側からみると実に器用なミュージシャンです。アルバムごとにいろんなスタイルの音楽に挑戦して、個人としては、クラシック音楽の交響曲まで手掛けています。現在は大学で教鞭までふるっているそうです。

 

 

しかし私がリスナーとして受けるくるりの音楽の印象は、「器用」ではありません。むしろ、不器用で愚直な人が、あの手この手を使って苦心して、自分だけの何かを表現し続けている、そんなイメージでしょうか。

 

 

アルバムは、完成品というよりも、常に、ある過程の報告としてリリースされている、そんな感じを受けます。(もちろん私が勝手にそう感じているだけです)

 

 

 

以下、岸田さんの発言から抜粋。少しでも創作に興味のある方なら、面白く感じるのではないかと。

 

 

せやから、作り手は「これ、なんかいいかも!」って思いついたものを大事にして一生懸命作品をつくっていたら、200年後くらいに誰かが拾うかもしれない。何か時代の大きな変化……それこそリーマン・ショックや今回の新型コロナのような出来事があると、人自体の感受性や感覚、常識みたいなものが変わっていくし、いろんなものの受け取り方も変わっていきますからね。

 

 

せっかく自分で思いついたんだから、そのAメロで描いたものを、たとえば音価(楽譜上で音に与えられた時間の長さ)を倍にしてみるとか違うハーモニーをつけてみるとかして、ひとつの資源を有効に使っていったほうがつながりも良くなるよ、というような話をよくするんです。思いついたアイデアを、もっと大事にしてほしいって。

 

 

 

この対談では、コロナ禍に際しての創作のあり方についても言及されています。

思えば、あの東日本大震災に影響を受けて、傑作「坩堝の電圧」が生まれたことを考えると、今回のコロナ禍でも新しい創造的価値観が生まれて、すばらしい作品を残して下さるかもしれません。

 

 

未発表音源集「Thaw」は、その序章でしょうか。