京都精華大学の講師の「死んだほうがいい」発言が、数日前にフェイスブックでの炎上ニュースとして、Yahoo!ニュースに上がっていました。結構な反響があったみたいでご存知の方も多いのではないかと。
実はこういう物言いは、友人など親しい間柄の人との会話では、ちょくちょく出てきそうな言い方です。アーティストを愛しているが故の発言です。私も若い頃、友人との会話で「◯◯は日和った」「××は終わった」(◯◯や××にはアーティスト名が入る) というような会話を、しょっ中していた記憶があります。
この発言がこれだけ問題になったのは、発言が親しい間柄 (つまり、そう言う事を喋る人となりを理解し共有している関係) 以外の、パブリックな場に拡散してしまったからです。これがネットの怖さですね。
私はこのニュースをみて、この講師への嫌悪感ではなくて、あらためてユーミンの偉大さを思った次第ですが。まあ捉え方は人それぞれです。
この講師は間違いなく「カルト・ユーミン」時代の熱狂的ファンだったのでしょう。この人は多分、親しい人にもこういうこと喋っていて、何かの拍子にポロッとフェイスブックに上げてしまったのでしょう。つまり、ちょっと口が滑ったんじゃないんでしょうか。
例によって昔話ですが、デヴィッド・ボウイが「レッツ・ダンス」で、カルト・アーティストから一般受けした際に、キュアのロバート・スミスさんが「ボウイは『ロウ』をリリースした後、死んでしまえばよかった」と言うような発言をされていたのを思い出しました。言うまでもなく、ロバート・スミスさんは、カルト・アーティスト時代のボウイさんの大ファンでした。
ネットの場は、プライヴェートなようであってパブリックな、パブリックなようでプライヴェートな、とても不安定な場所です。プライヴェートで喋るような、反射神経でパッと口から出る言葉が、パブリックな場にあっという間に拡散してしまいます。
パッと喋るように拡散出来るところが魅力でもあるんですが、最近はデメリットばかり取り沙汰されている感がします。
ツイッターやフェイスブック、私は怖いので利用は控えています。SNS利用するなら、楽曲を上げたり、じっくりと考えて書くこういうブログが合っています。
その、カルト・ユーミン時代、荒井由美さんのファースト・アルバム収録「ひこうき雲」(‘73年) 聴いています。
死を歌う言葉。当時の邦楽離れしたメロディとコード進行。とてもとても、’73年、19歳の作品とは思えませんね。。
私が普段から聴いている音楽の嗜好性とは全く違うのですが、こうして聴くと、耳が離れず最後まで聴き入ってしまう、初期のユーミンです。