【2021年5月15日】デヴィッド・ボウイ「サウンド・アンド・ヴィジョン」カバー・ヴァージョンを録りはじめました 〜 何度目かの「ロウ」について

思い立ってここ数ヶ月、昔作った曲を録り直しています。

3月「君や僕のバラッド」4月「ひとり暮らしの君や僕」に続き、今回はデヴィッド・ボウイ「サウンド・アンド・ヴィジョン」のカバー・ヴァージョンの録り直しです。

 

 

「サウンド・アンド・ヴィジョン」は、アルバム「ロウ」(‘77年) 収録曲。「ロウ」は、おそらく私が一番多く聴いたボウイ・アルバムで、その中でもこの曲は最も多くリピートしているのではないかという気がします。このアルバムのサウンドについては何度か書いているので、今回は言葉について。

 

 

 

言葉と書きましたが、このアルバムの半分の曲には歌詞がありません。そして歌詞がある曲も、その言葉は、極めて個人的なことーー独り言を箇条書きで書き出したような、そんな趣きがあります。LPレコードでは、「ロッキング・オン」の岩谷宏さんがライナー・ノーツを書いていて、そのライナー・ノーツのお陰で「ロウ」の世界を体験出来たという気がしています。「ロウ」の寡黙な歌詞を補って余りある言葉です。今度実家に帰ったら読み返そうと思います。

 

 

その中で岩谷さんは「このアルバムはステージではなく、部屋で聴く孤独な個人を想定して歌っている」というようなことを仰っていました。ここが、このアルバムの新しさ・革新性ではないかと今思います。

 

 

 

今やポップ・ミュージックは、個人の脳内→個人のベッドルーム→リスナーへ、と、現実の空気を振動させずにミュージシャンからリスナーの耳に届く時代になっています。(だから音響は、先日のブログ記事に書いた、「最近のはデッド=刺さる音、で昔のはライブ=広がる音」なのかもしれません)

個人の呟き・嘆きがそのままダイレクトにリスナーの耳に刺さるポップ・ミュージックの先駆者的サウンド、それがこの「ロウ」のサウンドと言葉ではないかと感じます。

 

 

「サウンド・アンド・ヴィジョン」では、呟き・嘆きに加えて溜息まで入っていますが、そのため息がちゃんとポップな音楽になってるところも聴きどころです。

 

 

 

それで、私のカバーは、自分で訳した概念訳を前半に持ってきて、後半はオリジナルの歌詞です。以前作った時は、あまりにも観念的過ぎてテクニックが追いつかずボツにしましたが、今ならもう少しマシなのが出来そうかなと。

まあボチボチと?録っていこうかなと。