【2021年10月20日】38年後の「ジギー・スターダスト」に思う

 

 

 

デヴィッド・ボウイのライブ・ドキュメンタリー映画「ジギー・スターダスト」が、来春公開されます。

 

 

 

この映画、私が19歳大学生の時に、「戦メリ」「レッツ・ダンス」での一時的なボウイ人気にあやかって?日本でも公開されています。私は新宿 (か渋谷、どちらか) まで、2回、観に行っています。もちろん、2枚組のライブ盤 (サウンドトラック盤) も購入して毎日聴いていました。

 

 

このライブ映画を観ると、’70年代末のパンク/ニュー・ウェイヴの多くのロッカーたちが語っている、子どもの頃ボウイのファンだったという話が、実に腑に落ちます。まさに早すぎたパンクといった音です。

 

 

当時の私は、はっきり言って自分史の中では闇に葬りたいというか、黒歴史というか、二度と戻りたくない、そんな時期なのですが、まあ当時そんなどん底の精神状態だったからこそ音楽が現実の数千倍リアルに聴けて、今こうして曲も生まれているのだという気がします。

このライブ・アルバム、丁度そんな時期にしがみつくように聴いていました。人生、悪い中にも何かしら得るものがあり、そして悪いことのあとには必ずいいことがあるものです。

 

 

 

見どころの多いこのライブ映画の中で、今でも鮮明に記憶に刻まれている印象的なシーンがあります。

 

 

それは、歌の最中に鳥が大空へ羽ばたいていくその瞬間をパントマイムで表現しているシーンです。このパントマイムが月並みな言葉ですが実に素晴らしいとしか言いようがありません。

日常から離れたライブ映画の中で、更にそのライブの狂騒からもフッと離れていくような、マジックのような瞬間でした。今思うに、まさにボウイの音楽性を象徴しているシーンです。

 

 

 

 

 

このライブ映画の記事のメイン・ヴィジュアル (↑) が、まさにそのシーンを切り取っています。制作側もさすがによく分かっているなあと思った次第です。

一人でも多くの人に観ていただきたいと、ロートルのロック・ファンとして思います。