去年の8月、地元のひまわり畑にネットで観たウクライナのひまわり畑を重ねて「向日葵咲く丘」という歌を作りました。あれからもう10ヵ月。ウクライナ-ロシア間の戦争はまだ終わっていません。
私たちも日本人もそれぞれ日々忙しく、他国の戦争の事など忘れがちになりますが、一つ言えることは、彼の地の戦争は決して他人事ではないという事です。
忙しい日々の中、今回のG7サミットや原爆記念日や終戦記念日のような歴史の節目ぐらいは、その事を思い・その事について考えたいなと。
去年の8月、地元のひまわり畑にネットで観たウクライナのひまわり畑を重ねて「向日葵咲く丘」という歌を作りました。あれからもう10ヵ月。ウクライナ-ロシア間の戦争はまだ終わっていません。
私たちも日本人もそれぞれ日々忙しく、他国の戦争の事など忘れがちになりますが、一つ言えることは、彼の地の戦争は決して他人事ではないという事です。
忙しい日々の中、今回のG7サミットや原爆記念日や終戦記念日のような歴史の節目ぐらいは、その事を思い・その事について考えたいなと。
表題について考えてみました。
曲を作っている過程を省みると。① 曲想が閃く ② アイディアがどんどん湧いて、音や言葉を積み重ねていく ③ ひと息ついて聴き返し、音や言葉を手直しする ④ 更に聴き返して完成とする
ざっくり言うと、こんな感じなのですが、この④が難しいところです。
今回の「続く・廻る」を作っていてふと思ったのは、積み重ね (プラス) が終わり、音を削ったり、定位や音像・音量のチェックを行ったり、つまり曲を批評的 (マイナス) に意識し始めた時点で、実は既に完成していると言えるのではないか、という事です。つまり上記の作業は、既に完成している曲を他人に伝える為の努力をしている行為という事です。
私はこの作業で結構時間を使います。それは、積み重ね (創造) から添削 (批評) への意識がサッと変わらないからなのかなと。
そこで思ったのは、例えば作る時は数曲作り続けて、ある程度まとまったら他人に伝える努力の作業を、その数曲をまとめて行う、というふうにしたらどうか?という事です。
思っただけで、まだ具体的なところまで考えていませんが、曲想同様に作り方もマンネリ化を打破していきたいなあと。
アパート横のお花畑。本文とは関係ありません。