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【2020年4月1日】戸川純「玉姫様」をアナログ盤で聴く 〜 恋愛の本質を歌う「諦念プシガンガ」が聴けました

レコード・プレーヤーを購入して、絶対に聴きたかったレコードが、戸川純「玉姫様」(‘84年)。

更に言えば、このアルバムの中の一曲「諦念プシガンガ」。

 

 

 

わりと最近、知人や島村楽器のTさんとの会話で戸川純さんが話題になって、レコード・プレーヤー買ったら、このアルバムをすぐに聴こうと決めていました。

 

 

戸川純さんは、’80年代初めに活躍した女優&歌手。当時のサブカルチャー好きに圧倒的な人気がありました。表現の仕事しか出来ないオーラを纏っている人です。

最近だと、女優のノンさんに同じようなオーラを感じます。(ノンさんは一般的には健康的なイメージですが、かなり危ない人だと感じます)

私はへそ曲がりなので、「笑っていいとも」に戸川純さんが出演した時は「戸川純も終わったな」と、勝手に終わらせていましたが (笑)。(←アホなファンの典型例)

 

 

 

「諦念プシガンガ」は、ファースト・ソロ・アルバム「玉姫様」の2曲目に入っています。

1曲目が「怒涛の恋愛」。歌詞を読めば、この2曲は繋がっている事が分かります。いや、読まなくて聴くだけで、「怒涛の恋愛」は序曲で、本編が「諦念プシガンガ」という、戸川純さんの意図が分かります。

アルバムのトップのこの2曲は、リスナーに絶対に聴いてもらいたかったのではないでしょうか。

 

 

と書いていますが、実は私はこのアルバム、当時は、ハルメンズのカヴァー「昆虫群」「隣の印度人」、あと「蛹化の女」を好んで聴いていました。でも今になって思い出すのは「諦念プシガンガ」です。不思議ですね。。

 

 

 

この2曲は「恋愛の本質」を歌った歌です。巷に溢れる恋愛ソングとは一線を画しています。

何故なら「恋愛を楽しんでいる (苦しんでいる) の歌」ではなく、ずばり「恋愛そのもの」を歌っているからです。

 

 

その人の声を聞くだけで 失神しそうな怒涛の恋愛」(「怒涛の恋愛」)

 

「牛のように豚のように殺してもいい 我一塊の肉塊なり」(諦念プシガンガ)

 

 

たった一度でもいいので、人を大好きになった (=恋に落ちた) 事のある人なら、恋愛は、天災や、今だとコロナ・ウイルスのように、自分の意思では制御不可能なモンスターのようなものだという事が、身に染みて感じたと思います。

 

 

逆に言えば、制御出来るような恋愛は、まあ大して好きなんじゃないのではと、恋愛経験の少ない私でもそう感じます。人類はそんな自分でも訳の分からない力 (それを本能と呼ぶ) が宿る事によって、子孫が生まれ、今まで生き延びてきたのでしょう。

 

 

 

数十年ぶりに聴いたこの曲は、元々アンデス民謡に歌詞を付けただけあって、全く古びてなく (というか最初から時代の音ではなかったので)、ごく普通に聴けました。

前回記事にも書きましたが (笑)、ああ、生きててよかったなあと、しみじみ思いました。

 

 

 

 

 

 

私の楽曲はこちらから聴けます。↓

 

 

 

 

 

【2020年3月22日】今こそ新しいライヴのやり方を模索する時 〜 大瀧詠一「ヘッドフォン・コンサート」を思い出す

コロナウイルス感染予防の為、あちこちで大小のイベントが中止になっています。

外タレの来日公演も軒並み中止。金沢市のライヴハウスで行われる予定だった知人のバンドも出演するライヴも、あえなく中止となってしまいました。

 

 

私はここ10年程でライヴに行く機会がめっきりと減ったので、まるで他人事のように書いていますが、ライヴ収入を日々の生活の糧としているアーティストやプロモーターの方々は、月並みな言葉ですが、ホント大変な目に遭っている訳です。

 

 

 

思えば、機材が著しく進化して音が画期的に良くなり、その音源を、ネット経由 (YouTubeやSound Cloudなど) すると、アーティストが「今」作ったばかりの音が、そのまんま、リアル・タイムで聴ける、という、こんにちのリスニング環境とはうらはらに、ライヴは大昔から全く同じ形態で行われています。

それは、ステージに一人、もしくは少人数のパフォーマーがいて、対して圧倒的多数のオーディエンスがそのパフォーマンスを見守る、というスタイルです。

 

 

本来ライヴは、パフォーマーとオーディエンスは、それぞれ「一対一」、サシの勝負?です。周りに観客がいくら大勢いようと、ライヴはパフォーマーと自分の時間、の筈なのですが。。実際はお祭り騒ぎになっていて、まあそれがライヴのよさ?でもある訳です。

 

 

 

 

大瀧詠一さんの「ヘッドフォン・コンサート」、調べたら、行われたのは1981年、渋谷公会堂にて。私が高校生の頃です。

ホールの音は、反響その他PA状態で、オーディエンスにストレートに、平等に、届かない。それなら、ちゃんと届くようにオーディエンス全員がヘッドフォンで聴けばいいんじゃないか。そんな発想で行われたようです。

 

 

当時、それをFM雑誌で読んだ時は「変わった人も居るもんだなあ」ぐらいにしか思わなかったんですが、今も憶えているということは、当時大瀧詠一さんの音楽に興味のなかった私にも、それなりにインパクトがあった出来事だったんじゃないかと。

 

 

 

 

最近、何人ものアーティストが「配信ライヴ」を行なっています。私は実際に閲覧した事ないんですが、どんな音で配信してるのか興味があります。

大瀧詠一さんは、この日の演奏音がちゃんとオーディエンスのヘッドフォンに届くような、緻密なエフェクター処理をしたそうです。

 

 

TVの音楽番組や、ニコニコ生放送、AbemaTVのような、ごく普通の、不特定多数向けの音像ではなく、聴き方を想定 (ヘッドフォンで聴いて下さい、とか) した、個人個人の脳ミソにダイレクトに突き刺さるようなミックスをしての配信ライヴは、実は新しいライヴのカタチ=メディア、になりうるんじゃないかと思います。

ウイルス騒動や大地震が起きても、オーディエンスにちゃんと伝えることが出来るのではないかと。

 

 

人々を集めて行う普通のライヴが出来ない今こそ、「ライヴ」の形態が進化するチャンスなんじゃないかな。いいアイデアが浮かんだら、自分でもやってみたいですね。

 

 

 

 

 

 

「ヘッドフォン・コンサート」画像。ニコニコ動画に上がっていました。(動画ではないんですが)

 

このコメントは、「スピーチ・バルーン」へのリスペクト。私の大好きな曲です。