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【2019年7月13日】前回の続き 〜 歌声の質は曲の世界観で決まります

「ユメヒトヨ」、歌い直したのはいいのですが、前のと聴き比べると、どうもしっくりきません。というか、抑えて歌った方が、聴いていてスッと入ってきます。メロディが派手なので、高音で抑揚をつけて歌った方がいいかなと思って歌い直したんですが。。

 

 

という訳で、前のキーに戻して抑えて歌ってみたところ、キーを上げて歌った歌よりもいい感じに聴こえました。前回のブログ記事の前言撤回する訳ではありませんが、やはり声の高低は曲によってですね。。

特にこの曲「ユメヒトヨ」は、最初から最後まで何の希望も歌わず、ただ、人生は一夜の夢と、つまり無常観を歌っているので、メロディの起伏を強調して歌うよりも、ただ淡々と歌う方が、曲に合って感じるのかもしれません。

 

 

先日この曲を歌い直している時に、中島みゆきさんの「わかれうた」がふっと頭に浮かびました。この曲のように抑揚のない歌い方がいいんじゃないかと思った訳です。

「わかれうた」は、私が子どもの頃に大ヒットした曲です。「ユメヒトヨ」のインスピレーションの元歌、久保田早紀さんの「異邦人」同様、マイナー・キーの進行で、昭和の香りが濃厚な名曲です。

 

 

 

前回と前々回は声のことばかり語ってしまいましたが、つまりは、曲の世界観ありきなのでしょう。曲の世界観が、歌い方を要求する、という感じでしょうか。

何を今更当たり前の事をと、自分でも呆れますが。そして、私が苦手な伸びやかな高音で歌われる歌は、そんな声がマッチする曲の世界観自体も苦手なんだなと。

 

 

 

 

「わかれうた」を歌う、中島みゆきさん。この画像をみると、’78年となってて、ウィキペディアで調べたら、ヒットしたのは’77年。という事は、中1の時でした。小学生の頃だとばかり思ってました。

ベストテンとか紅白とか、TVには一切出ない人だったので、とても珍しい映像です。こんなルックスだったんですね。(若い頃のルックスも知りませんでした。。)

 

【2019年6月4日】実家のレコードから 〜 日本のニュー・ウェイヴを思う

 

先日実家に帰った際に、前回帰った時の続きのアナログ盤の整頓を行いました。

 

 

 

量の多さに途方に暮れててもしょうがないので、先ずは、和モノと洋モノという、ザックリとした区分けを行おうと思いました。それで分け始めて気が付きましたが、和モノの殆どがCDで所有してない音源でした。洋モノは後からCDで買い直してのも結構あります。

 

 

あまりにマイナーなのが多くてCD化されてないのが多いのと、日本のニュー・ウェイヴ自体、この当時のみ輝いていた一過性のジャンルだったので、ジャンルの衰退と共に自分内でも忘れていった、そんな理由からです。j−ポップという名称が付く、遥か前です。

 

 

 

ジャケットを見ながら音を思い出して、何であの頃は、こういう音楽(日本のパンクやニュー・ウェイヴ)を、時々ながら聴いていたんだろうと、考えてみました。

 

 

洋楽パンク/ニュー・ウェイヴが、従来からのロックやイデオロギーのカウンター表現であり、同時に、60’sのビート・ミュージックの進化形であったのに対し、日本のそれは、そんな洋楽の単なる「模倣」です。実際に、洋楽パンク/ニュー・ウェイヴに比べて薄っぺらい音が多かったように記憶しています。

 

 

ところが、模倣・ニセモノ、だからこそ、フェイクだからこそ、輝いていた表現もいくつかありました。

YMOやP−モデル、プラスティックス、ヒカシューなどの、当時テクノポップと呼ばれていた、コンセプチュアルな音楽たちです。

 

 

YMOやP−モデルは、フェイクと言うにはあまりにもプロフェッショナルでしたが、プラスティックス、ヒカシュー、あとテクノではありませんがゲルニカ、などには、そのチープな音から、これぞ日本の音楽、といった趣のオリジナリティを、当時は感じました。

 

 

これらの音楽を、今聴いたらどう感じるのでしょうか?興味深いものがあります。おそらくYouTubeで簡単に聴けると思いますが、せっかくなので、発掘したレコードに針を落として聴いてみたいものです。その日が来るまで、心の中に眠らしておきたいなあと。

 

 

 

その一部。