J−POP」カテゴリーアーカイブ

【2024年4月12日】加藤和彦のドキュメント映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」に寄せて

 

 

伝説のアーティス、シド・バレットの映画に驚いた先月でしたが、何とここ日本でも、故・加藤和彦さんの奇跡を追ったドキュメント映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」が上映されます。

‘70年代の日本のポップスの再評価が進む昨今、加藤和彦さんは、そんな中であまりにも再評価・再発見されないミュージシャンではないかと常々思っていました。そんな中でのこのニュースは嬉しい限りです。

 

 

 

加藤和彦さんは’60年代のフォーク・クルセイダーズ、’70年代のサディスティック・ミカ・バンド…、から今世紀まで、その音楽スタイルを大きく変えながらも断続的に活動を行っていた人です。私はそのキャリアの全てをフォローしている訳ではありませんが、彼の幾つかの時代の音楽は随分聴き込みました。

 

 

その多岐にわたった活動の一つのピークに「ヨーロッパ3部作」が挙げられます。「パパ・ヘミングウェイ」(‘79年)、「うたかたのオペラ」(‘80年)、「ベル・エキセントリック」(‘81年)、以上3枚のアルバムです。

 

 

私個人のリスナー歴で言えば、最も聴き込んだ加藤作品は、この時期の「パパ・ヘミングウェイ」です。

ウィキペディアによると、「パパ・ヘミングウェイ」レコーディングの最後に出来た曲「スモール・キャフェ」が「ヨーロッパ3部作」を作るきっかけとなったそうです。それを読んで、なるほどと思いました。この曲は明らかに、他のアルバム収録曲とは違う空気感が伝わってきます。次のアルバム「うたかたのオペラ」に収録されていてもおかしくない曲です。

 

 

 

と、ここまで書いて、これは凄く長い文章になりそうな気がしてきました。今回はここまでで、次回は最もよく聴いた加藤和彦マイ・ベストの「パパ・ヘミングウェイ」と、その「パパ〜」と同様に聴き込んだ「あの頃、マリー・ローランサン」(‘83年) について掘り下げてみます。

 

 

 

 

 

【2023年12月5日】チバユウスケ死去

 

 

 

チバユウスケさんといえば、私にとっては、ミッシェル・ガン・エレファント。ミッシェルは、私にとって最後のロックンロール・バンドです。(くるりやレディオヘッドはロックンロール・バンドとして聴いてはいないので)

 

 

 

私がミッシェル・ガン・エレファントを日常的に聴いていたのは、バンドがデビューしてからの数年間のみですが、記憶にはしっかり残っています。

 

 

その記憶の一つに、当時勤めていた会社の飲み会(カラオケ)の席で、ミッシェルの「バードメン」を熱唱して、歌い終えたら場が凍りついていた、という事がありました。その時思ったのは、カラオケというのは、好きな歌を渾身の力を込めて一生懸命歌ったらダメな場所なんだな、という事です (笑)。適当に歌うくらいなら、歌いたくないなあと。(これは私がカラオケ苦手な理由です)

 

 

 

ミッシェル・ガン・エレファントの音楽は、特に目新しい事など演ってないのに、当時30歳を過ぎていた私の耳にも凄く新鮮に聴こえました。これは今でも何故か分かりません。

 

 

先程、訃報を観てミッシェルの音を脳内でなぞっていたら、若い頃好きだったルースターズの初期の音とシンクロしました。ルースターズの初期の音楽性を進化させたらミッシェルの音になるのでは、と思いました。

ルースターズは、ハードなロックンロールから憂いのあるニュー・ウェイヴ的な音に変化していきましたが。

 

 

 

ワインを呑みながら書いているので、かなりとりとめのない文章になっていますが、アルコールの好きだったチバユウスケさんの追悼という事で、許して下さい。

謹んでお悔やみ申し上げます。