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【2021年12月9日】夏目漱石「草枕」について、あれこれ

せっかく歌詞にしようと思い浮かんだので、数10年ぶりに「草枕」を再読し始めました。

同時に、もうストーリーも分かっていることだし他人がどのようにこの小説を読んでいるかを知りたくなったので、「草枕」についてのテキスト (難しげな評論であったり、簡単に読めるブログ文であったり) も、いろんなWEBサイトで調べて、並行して読んでいます。

 

 

いろんなサイトで挙げられていたのは、この「草枕」は「非人情」がテーマだということ。「非人情」という言葉、「デジタル大辞泉」によると、ずばり「夏目漱石が説いたもの」とまで書かれていました。

 

【非人情】

 

1 他人に対する思いやりに欠けること。冷淡で人情がないこと。また、そのさま。「非人情な(の)人」

2 義理人情の世界から超越して、それにわずらわされないこと。また、そのさま。夏目漱石が「草枕」で説いた境地。

 

ーー「デジタル大辞泉」より

 

 

昔読んだ「草枕」。当時は芸術論として・あるいは芸術家の葛藤話として読んだのですが、今読み進めていて更に、そもそも芸術というものは、性質上「非人情」なものでしかあり得ないのでは、「人情」を高いところから俯瞰して描くからこそ面白いんじゃないか。そんなふうに感じました。

 

 

そう思うと、私が長年聴いてきたミュージシャンは「非人情派」な方々が圧倒的に多いです。デヴィッド・ボウイ、ジョニ・ミッチェル、坂本龍一、小沢健二…。熱心に聴いてはいませんが、ボブ・ディランやユーミンもそうかも。人間性が非人情、ではありません。念の為。

 

 

 

以下、たまたま目に入ったサイト「うろたえる紙魚は泳ぐ・・・・・・・」というブログから「非人情」についての文章を引用します。分かりやすく説明してあるなあと。深く考察したいテーマではありますが、酔っているのでこの辺で。

 

 

 

非人情とは 客観的に見ることのようにも見える。

 

 

漱石は『写生文』の中で言う

『社会は人間の塊まりである。その人間を区別すればいろいろできる。

貴と賤ともなる。賢と不肖(ふしょう)ともなる。

正と邪ともなる。男と女ともなる。貧と富ともなる。老と若、長と幼ともなる。

その他いろいろに区別ができる。・・・

 

写生文家の人事に対する態度は貴人が賤者を視るの態度ではない。

賢者が愚者を見るの態度でもない。君子が小人を視るの態度でもない。

男が女を視、女が男を視るの態度でもない。

つまり大人が小供を視るの態度である。両親が児童に対するの態度である。・・・

 

普通の小説家はこれである。

彼らは隣り近所の人間を自己と同程度のものと見做して、

擦ったもんだの社会に吾自身も擦ったり揉んだりして、

あくまでも、その社会の一員であると云う態度で筆を執る。

したがって隣りの御嬢さんが泣く事をかく時は、当人自身も泣いている。・・・

 

写生文家は泣かずして他の泣くを叙するものである。』

 

 

非人情とは 写生文家の立場なのだろう。

 

 

 

 

【名言&あらすじ紹介】夏目漱石『草枕』より「非人情の天地に逍遥したい」YouTubeより。

 

動画で「草枕」の世界を語っています。面白く閲覧しました。

 

 

【2021年11月27日】ECD「ECDIARY」を読む

 

 

 

前回「本を読まなくなった」と書いたのが、どうやらフラグだったようで、先日ぶらっと入った、とあるCDと古書のイベント場で、あっさりと本を購入してしまいました。買ったのは、ラッパーであり文筆家であった、故・ECDさんの「ECDIARY」(‘04年)。本を読んだのはどれだけぶりでしょうか。

 

 

 

ECDさんの初めての著書であるこの「ECDIARY」、私が読んだ他の著書と同じく、日常生活や音楽活動、そして音楽やカルチャーに関する雑感を簡潔な文章でまとめたもので、あっという間に読了してしまいました。

 

 

何度か書いていますが、共感出来るところがとても多く、というか、私の方が影響を受けていて感化されているという感じです。この人がいなかったら、私は日本のヒップホップは聴いていないんじゃないか、今となってはそんな気さえします。

 

 

数年ぶりにその文章に触れて初めて気付いたのは、センテンスが短く、リズミカルに繋がっていること。そして誤解を恐れない断定的表現が多い。それがスラスラと読める一因ではないかと。つまり、彼の楽曲で聴けるリリックのようです。(今までは、そんなところはあまり考えずに読んでいました)

 

 

 

日記の後半に、当時のCCCD (コピー・コントロール・CD=PCでコピー出来ないCD) 騒ぎについての言及があり、懐かしく読みました。

今となっては「タダでコピー出来るからCDが売れないんだ」のレコード会社理論は全く的外れであることが自明ですが、当時は真剣に言う方々がいらっしゃって、実際にCCCDがリリースされていた訳です。

 

 

この言及は20年近く経った今でも、サブスクとフィジカルの問題にも重ねることが出来る素晴らしい意見ではないかと、大いに共感しました。そのまま写メって載せます。

 

 

 

 

 

最後の方。

 

…CD−Rには音を聴くという使い途しかない。しかし、オリジナルであるCDには愛情を注ぐという、無限大の使い途があるのだ。ポテンシャルが圧倒的に違うのだ。その点でコピーがオリジナルを凌駕することはありえない。

 

 

私が日々デジタル音源を聴きつつも気に入ったらCDを購入する理由が、まさにこれに尽きます。

本当に久しぶりにECD節を堪能出来ました。