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【2023年1月11日】ギックリ腰で寝てました

2年振りにギックリ腰になってしまいました。バイトにも行けずに午前中はずっと寝ていました。先日のブログ記事の最後を「いい1日でした」で締めたのが良くなかったのかもしれません (笑)。

人生、良い事もあれば良くない事もあります。このぐらいで済んで良かったと思いたいです。また良い事が、きっと訪れる筈です。(お陰で午後からは少し良くなりました)

 

 

そして午前中は、ベッドの中でずっとネットサーフィンしていました。(時々眠りましたが)

サーフィンしていたら、何と!大昔の「ロッキング・オン」誌で執筆されていた、橘川幸夫さんのnoteに遭遇しました。

 

 

橘川さんは、以前の記事に上げた、同じく「ロッキング・オン」誌に執筆されていた故・松村雄策さんと同期の桜的な間柄の方です。この辺は長くなるので端折ります。

この方のnoteの最新の言葉を読んで、ハッと襟を正されました。

 

 

大勢の人に教えられることは何もない。ただ、一人ひとりに問いかけることは出来る。

 

 

思春期の頃に私が聴いていて、当時日本では、一般的なロックのリスナーには全くと言っていい程聴かれていなかった、前回上げたデヴィッド・ボウイやルー・リード、ゲイリー・ニューマンやジョン・フォックスetc…、つまり私が聴いていたアーティストたちと、当時日本 (や世界中) で売れていたロック、◯◯◯や××× etc…、との違いはこれだったのかと。「ただ、一人ひとりに問いかけることは出来る」この言葉を読んで思いました。一人ひとりーー自分自身、も、その一人ひとりのうちに入ります。私の表現も、こうありたいなあと。

 

 

橘川さん、相変わらずだなあと。note、時々覗いてみようかなと思った次第です。

 

 

 

 

 

【2023年1月1日】前回の続き 〜 紅白歌合戦は日本が平和であることの象徴です

 

 

 

Yahoo!ニュースでは、例年同様紅白歌合戦についての記事が幾つも上がっています。その中には否定的な内容の記事も決して少なくありません。上記はかなり肯定的な記事の一つです。

私自身、紅白歌合戦についてはかなり肯定的に捉えています。紅白歌合戦は、グラミー賞がアメリカ的だと感じるのと同様に、実に日本的な企画番組ではないかと、先日数10年ぶりに観てあらためて感じた次第です。

 

 

 

私の子どもの頃の大晦日は、夕食後に家族で紅白歌合戦を観ながら、途中で年越し蕎麦を食べてつつダラダラと過ごす、が毎年のルーティンでした。私の家庭に限らず、大晦日にそんな過ごし方をする家庭は多かったのではないかと思います。

 

 

こたつを囲んでみかんを食べながら家族全員で、この人は上手いとか、この歌知らないとか、衣装すごいとか、グダグダ言いながら観るのが、紅白歌合戦の醍醐味なのではなかったかと。今、紅白歌合戦が存続の危機?に瀕するのも、歌の世代間落差云々、ネット云々よりも、大袈裟に言えば昭和の日本的家庭の光景が滅亡しつつあるからではないかと。

私の時代から、私の知ってる・好きな歌を親が知らなかったり、後半の演歌やムード歌謡を私は全く知らず退屈して観ていたり、という事は普通にありました。今に始まった訳ではありません。

 

 

そんな昭和的光景が、今の紅白歌合戦にも少なからず引き継がれているなあと、観ていて思いました。高度成長期の真っ只中で、未来については何の心配もする必要のなかった、あの時代の名残りを。

 

 

 

これからこの日本や世界がどうなるのかは、全く分かりません。ただ不安ばかりが増しているような気がします。そんなご時世だからこそ、昭和的・楽観的な「サザエさん」「ドラえもん」や、「紅白歌合戦」が、終わらずに楽しまれ続ける世の中であって欲しいなあと、切に願います。紅白歌合戦が終わったら、マジで日本ヤバいんじゃないかなあと。もちろん、もうあの時代には戻れない事は百も承知です。

紅白歌合戦の役割は全然終わってないと、個人的には思いますが…。