私が高校生の頃、YMO (イエロー・マジック・オーケストラ) が流行り、新しいもの好きの邦楽ポップス・ファンは皆んな飛びついて聴いていました。当時私は洋楽ばかり聴いていましたが、それでもYMOはしっかりと聴いていました。
ブレイクしたきっかけの、2nd.アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の1曲目、YMOの代表曲のひとつにも数えられる「テクノポリス」という曲があります。実はこの曲、ファンの間では有名ですが「ピンク・レディーの一連の楽曲を坂本龍一が分解・研究し再構築した『東京歌謡』」(ウィキペディアより) なんですね。
前回書いた「AIの作る音楽」、私はこういう「テクノポリス」のような作り方の数万倍精度の高いの、をイメージしています。
実際昔の歌謡曲〜今のJ-POPまで、ポップス(大衆音楽)というのは、このように「売れ線研究」の研究発表の場のような感じもなきにしもあらずです。だからこそ、不特定多数に受けて売れているというのもよく分かりますし、それが進化というものです。
誤解がないように言っておきますが、それが良くない、というつもりは全くありません。むしろ突き詰めたらどんな曲が出来るんだろうとの興味で、AI案が浮かんだ訳です。
ただ、私が一番聴きたいのは、音楽を通じて露わになるその人そのものです。
音楽を通じて感じられる、知性・感性、そして思想。平たくいうと、◯◯さんらしさ。メロディやリズム感、声や選ぶ音などで、ここまで人となりが露わになるのかと、驚きです。露わになるから、熱狂的なファンとか大嫌いになる人などが生まれるんですね。
そしてそれがそのまま「なぜ人が奏でるメロディに耳が奪われるのか?」という本ブログタイトルへの回答となります。
先程繋がりで坂本龍一氏だと、有名な「テクノポリス」よりも、YMOの他の曲や、売れていないソロ・アルバムの中に、テクノポリスよりも好きな曲がたくさんありました。今思うと、それは坂本氏しか作れない、坂本氏のエッセンスのように聴こえる曲たちです。
とは言っても、テクノポリスも今聴き直すと、坂本メロディ以外なにものでもないんですが。
当時の曲だと、「千のナイフ」や「ジ・エンド・オブ・エイジア」「ザットネス・アンド・ゼアネス」「ライオット・イン・ラゴス」などを好んで聴いていました。「ザットネス…」以外は、YMOのライブでも演奏されていた曲です。
画像はその「千のナイフ」の初音ミクのカバー・ヴァージョンから。印象的なイントロのヴォコーダーによる、毛沢東の詩の朗読の部分の抜粋です。今でも多くのフォロワーが、ピアノやエレクトロニカ、バンドなどでカバーしている曲です。
こちらは、本人のピアノ演奏。(暗くてスミマセン)