アニメは音楽と違って一人で行える表現形態ではないので、宮﨑作品もスタジオジブリでの作業を通じて世に出てくる訳です。
こうした共同作業を経て作品が完成するので、宮﨑駿監督の世界観は、本人がタッチしなくなっても (引退しても) 、それなりに受け継がれていきそうですが、実際はそんな単純な話ではないと思います。
なぜなら、同じような世界観の作品は出来るかもしれませんが、同じように多くのオーディエンスが支持するかどうか、は全く別の次元の問題だからです。支持されてこそ、継承と言えるので。
例えば、「水戸黄門」の黄門様や助さん・角さんの役者が変わったところで、話題にはなりますが、過去に視聴率が大きく変わったかと言えば、そんな事はありません。あの世界観さえ再現されていれば、演じる人はそれなりに演じる事が出来る人ならば、ファンはそれが誰でも差支えないのでしょう。
ところが、宮﨑作品はそうではありません。宮﨑駿という個人の思想・感性がはっきりとあらわれている映画なので、似たようなのは作れそうですが、宮﨑ファンは果たしてついてくるかどうか分かりません。歌舞伎や落語、クラシック音楽の世界と違って、「個人」の表現というのは、そのままの形での伝承というのがとても難しいと感じます。
という事は、優れた個的な表現は、歌舞伎や落語・クラシック音楽のように、ちゃんと伝承されずに終わっていくのかというと、そんな事はありません。
宮﨑駿監督は、手塚治虫さんの大ファンだったそうです。確かに、初期の「ナウシカ」など、手塚治虫さんの影響が強いなあと思います。しかし、作品を重ねるごとに、宮﨑色が濃くなっていき、質を高めながら一般的にも受け入れられていきます。こういう事こそが、文化の継承なのではないかと。
そのままの形を継承するのも文化なら、先人の影響を受けながら未知の世界を切り開いていくのも、文化の継承ではないかと感じます。
ロックの世界の継承も同じです。あるアーティストの表現の熱心なオーディエンスだけが、その表現の継承者です。
宮﨑作品に大きな影響を受けた、だけど全く似ていない、そんなスタジオジブリ作品を今後期待します。
「風立ちぬ」より。