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【2018年1月31日】大江千里さんがジャズ・ピアニストに転身していました

 

 

大江千里さんと言えば、大学に通いながらシティ・ポップを歌い、大ヒットを飛ばしたというバックボーンから「男ユーミン」と呼ばれて、私の若い頃、大人気があったシンガー・ソングライターです。
今はジャズ・ピアニストとして、ニューヨークで活動しているみたいです。この記事を読んで初めて知りました。

 

 

記事のテーマは「ライフ・シフト」。小室哲哉さんの引退会見を受けてのインタビューで、小室さんについてもページを割いて語っておられます。交友関係があったみたいですね。大江さんは57歳、小室さんは59歳。大江さんも小室さん同様、多くのシンガーやアイドルたちに楽曲を提供されていました。

 

 
当時私はロックばかり聴いていて、大江千里さんの音楽には全く興味がなく、てっきり売れなくなってフェイドアウトしていったのかと思っていたのですが、シンガー・ソングライター時代から、次の生き方を模索されていたようです。ニューヨークのジャズ・スクールにまで通われていたそうです。チャレンジャーですね。

 

 

人間誰しも、成功や安定してしまうとそれを守ることに尽力するようになり、本当にやりたいことが出てきてもチャレンジもしなくなったり、働いて・食べて・寝ての日々の生活に疲弊して、それが全てとなり、やりたいことすらなくなってしまいます。

そんな、日々に流されているという意味ではなく、今の生活に心の底から満足している人なら、私はそれで充分だと思いますが。

 

 

小学生の頃、「将来の希望」という作文を書かされたことが、誰でも一度はあるかと思います。今でも憶えていますが、私は「画家になって全国を自由気儘に放浪してみたい」的なことを書いたのですが、何かの拍子でクラスのみんなに読まれることになって、誕生日には何人もの友人から絵の具を頂いたことがあります。しばらくは絵の具を買わずに済みました。(笑)
今は絵を描きたい気持ちは全くありませんが、もし当時の気持ちがまだ残っていたなら、50代の今なら、できる範囲で実行に移しているかもしれません。

 

 
大江さんの生き方と小室さんの生き方は、出発点は似ていながらも、対照的な人生を歩んでこられたと感じました。どちらがいいといかいう問題ではありません。結果はどうなろうと、本人が後悔しないというのが一番ではないかという気がします。
6ページもある、長いインタビュー記事でした。いろいろと考えさせられました。

 

 

 

 

 

 

YouTubeにいろんな曲がアップされていたので、今更という感じですが、片っ端から聴いてみました。
その中でも、この曲「rain」は気に入ったので画像載せます。

 

【2018年1月31日】前回の続き 〜 自由に聴こえる音楽とは

今日もグーテフォルクさんのアルバムを何度か聴きました。
繰り返し聴いていて、独特の浮遊感を感じるのはボーカルの為だけではないと思えてきました。
奇数拍子や変拍子が多く、ベースとなる低音が最低限の音量で、曲によってはキック (バス・ドラム) のみで鳴らしているのもあります。そんな楽曲構造も、フワフワして聴こえる理由だと感じました。
でもプログレッシヴ・ロックによく見かける変拍子の曲の多くは、人工的・構築的に聴こえるのが多いのですが、グーテフォルクさんのはどれもナチュラルに聴こえます。それが個性なんだなあと思いました。

 

 

ところでほんとに偶然なのですが、ちょっと前に作った「ハッピー・バースデー」と、今作っているマイナー調の曲にも、ベース・ラインがありません。低音はキックの音で鳴らしています。いろいろと弾いてみて、何度も聴き返した結果、ない方がすっきりとポップに聴こえると感じたからです。

 

 

今までは必要以上にベース音を大きく録っていたのですが、どんなに音を大きくしても、ベース・ラインは意識して聴かないと、マニアックな音楽ファンでない普通の人の耳には認知されないらしいです。数人に言われました。それを聞いてちょっと拍子抜けしたことがあります。多分私は、若い頃からレゲエやダブに馴染んでいた為、ベース音ばかりに耳がいくのだと思います。普通はやはり、キーボードやギターのフレーズですよね。

 

 

最近、やっとその呪縛?から抜けられたような気がします。
創作の際は、どんな人でも無意識のうちに、経験からくるいろんな先入観やクセなどが入ってきます。本当の意味でのオリジナルなど、よっぽどの才能がないと出来ません。

 

 

人は、影響を受けた表現なり現象なりを、自分というフィルターを通して再生するのが、創作の第一歩だという気がします。最初は好きな曲のコピーから入る人やバンドが多いのも、そんな理由からです。
そこから自分なりに純化させていく訳ですが、そこで冷静に自分を見ることが出来ないと、いろいろなものに縛られて、肝心なモノを見失ってしまいます。

 

 

私は何も考えずに、ただ好きだからとベース音を上げていましたが、そんな「クセ」がよくないのだと、ようやく気付いた訳です。
音楽にはタブーもなければ、暗黙の了解もありません。コード進行や曲構成など、音楽理論でもっともらしく語られていますが、それはあくまで後付けです。予定調和にならないようにするには、普段から自分の感性を研ぐしかありません。

 

 

グーテフォルクさんの自由に聴こえる音楽に触れると、自分のは、まだまだ心の中にいろんな呪縛やしがらみが多いなあと感じます。