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【2018年7月28日】新曲「TONDEKE」のトラックが完成しました 〜 作曲とシャッター・チャンスの類似点

本来は先日の金曜日、数年ぶりにフジロックに行こうと数ヶ月前から決めていて、金・土と仕事やPVの予定を入れませんでした。

ところが、1ヶ月半前にPCとソフトを購入してからというもの、急に曲がどんどん生まれだしてきて、こんなことは長い人生のうちでもそうそうあることではないと思い、これはフェスよりもせっかくの時間を音楽制作に使おうと、PCを購入してから早い時点で行くのを止める事に決めました。

 

 

そして先日と本日で、新しい曲のトラックを完成させました。

タイトルは「TONDEKE」。サビが、♪とんでけ、とんでけ、とんでけ〜 という歌です。日本語だと間の抜けた感じがしたので、たまにはいいかと思い、アルファベット表記にしました。

 

 

いつものように新曲が出来た事をブログに上げようと、タブレットのキーボードを打ち出してから、中学生か高校生の頃の「ロッキング・オン」誌で読んだ、キング・クリムゾンのロバート・フリップさんのインタビューを思い出しました。インタビュアーの質問は忘れてしまいましたが、演奏や作曲についてだったと思います。

「音楽はいきなりやってくるものなので、いつ来てもいいように、準備が必要」というような事を、フリップさんは仰っていました。

フリップさんはたしか当時、毎日8時間?10時間?だったか、ギターの練習をしていたと、別の記事で読んだと記憶しています。その練習は、テクニックを磨く為というより、音楽を迎え入れる為の時間のような気がします。(誤読だったらスミマセン)

 

 

この人はいかにも気難しいインテリのイギリス人という感じで、物ごとを難しく話して、インタビュアーを煙に巻くのが得意?な人で、そこが魅力でもあったのですが、この言葉も、当時は引っかかりながらも、正直言ってちゃんと理解は出来ませんでした。

だけども今になってみると、日々それを実感している訳です。音楽がやってきたら、部屋にいたらギターやキーボードや、最近だとソフトでキャッチ。外だとスマホのボイスメモでキャッチ。曲は殆ど偶然出来るもので、その機会を逃さないようにするのが大事だと、最近は特に感じます。

 

 

人によっては、とりあえずピアノの前に座って適当に弾いていると曲が生まれる、という方もいますが、私はそうではありません。なので、余計に、このような曲がどんどん生まれてきそうな時間は、大切にしなければいけません。

フェスには行けなかったけど、とても貴重な2日間でした。

 

 

 

 

制作がひと段落して、ふと窓の外を見ると、いかにも台風が近づいてきているような空の色でした。ブログ画像にしようかと、シャッターを切りましたが、この10分後、既に雲が厚くなり陽も落ちて、すぐに暗くなりました。

作曲は、カメラマンの、シャッター・チャンスを捉える目に近いものがあると思いました。

 

 

 

 

今回の曲は、循環コードのR&B調です。実際はこのメモからもう少し発展しています。

 

【2018年7月27日】サカナクション山口さんのインタビュー記事から 〜 マイノリティがマジョリティを凌駕する時代

 

 

 

先日の記事から。偶然にも、私が2日前に書いた「久しぶりに購入したCDから〜」に書いた事と同じような事を、簡潔に語られていました。山口さんの言葉の方が、私の言葉よりも全然分かりやすかったので、その部分を抜粋します。

 

 

 

マイノリティーの立場でいながら、マジョリティの中で存在するにはどうしたらいいのか。そんなことを考え続けていたあるとき、突破口が開けたんです。

 

たとえば、高校のクラスの30人の中で20人に評価される音楽をつくるには、マイノリティである自分を捨てなければいけない。でも、1人か2人に深く刺さる音楽なら、やり方を少し変えればできるかもしれない。その1人か2人が全国に広がれば、それはマジョリティになるよね、と。

 

じゃあそういう音楽ってどんな垣根を持った音楽なのか? どうやったら実現できるのか? そんなことを、どんどん深堀りしていきました。

 

 

 

私も「久しぶりに〜」の記事で、このような事を言いたかったんですよ。(笑)

比較して読むと、いかに山口さんの言葉が簡潔で分かりやすいかよく分かります。この記事に限らず、この人のインタビューは面白いです。

 

 

サカナクションやセカオワがブレイクしてきた頃、私は「これは今までの売れているJ−ポップと全然違う」と感じました。両方共、音楽好きの知人から、うちの子が熱心に聴いている、と教えていただきました。特にセカオワは、小・中学生に圧倒的に支持されていたみたいです。イジメについての歌もありました。ビートルズを引き合いに出すまでもなく、いつの時代も、子どもが支持する表現というのは基本、優れているものです。

 

 

そして、それまでのJ−ポップの主流とどこが違うのかといえば、上記の山口さんの言葉に集約されています。今になってようやく分かりました。

つまり、いくら売れても、マジョリティ感がしないところです。マイノリティな感性の音楽が、同じくマイノリティの人々に多数支持された、そんなふうに感じました。音楽人口の拡大が、このようなバンドたちのブレイクにつながっていると。

 

 

そう思っていたのもほんの束の間の事で、あれよあれよという間に、サカナクションもセカオワも更に売れに売れて、押しも押されもせぬメジャーなアーティストとしての立ち位置を獲得していました。つまり、彼等の方がマジョリティとなった訳です。

それでも両バンド共、ビッグ・ネームになったアーティストが陥いる、いわゆる「安定感」(言い換えるとマンネリ化) は皆無で、この先音楽性がどう変わっていくか予想できないところが、私には興味深いです。

 

 

 

 

記事中で「売れた枚数はたったの1800枚だったんです。」と語っている、メジャー・デビュー・アルバム「ゴー・トゥ・ザ・フューチャー」(‘07年)。

私が知ったのは、ブレイクし始めの頃のセカンド・アルバム「シンシロ」の後なので、このアルバムは既にそれなりに多くの人々に聴かれていました。(私もその一人)

 

 

今これを書きながら聴き返していますが、タイトル・チューンは、メロディが和テイストの、ゆったりとしたワルツのリズムの異色の曲で、サカナクションのエッセンス (山口さん語るところの「美しさ」) が詰まっている素晴らしい曲だと感じます。