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【2019年3月31日】次世代のブラック・ミュージックか?レジナルド・オマス・マモード四世「チルドレン・オブ・ヌー」

「プリンス×ディアンジェロ×JディラなVOODOO的世界観に満ちた、美しくDOPEなR&B!」(タワレコ)

 

「ディアンジェロをコーネリアスがリミックスしてアフリカで再生したら・・・きっとこんなかんじ♪(HMV)

 

 

 

数日前購入したアルバムです。昨年のリリースです。店頭で手にとって、スマホで調べたところ、上記の大仰なコピーが目に留まり、購入しました。

 

 

このところのブラック・ミュージックはヒップホップばかりが目立っていますが、このアルバムはヒップホップではなく、昔懐かしのファンクのノリでした。いろんなアーティストを引き合いに出して語られていますが、私はスライっぽいなあと感じました。

 

 

そのリズムは、昔のレアグルーヴを再構成しているいうか、新しく聴かせるところが、新世代を感じさせます (←上手く説明出来ません)。デジタルっぽいけどグルーヴしています。聴いててクセになります。

引き合いに出されている著名なブラック・ミュージシャンの中に、ポツンと、コーネリアスの名前が記されていて、聴いてなるほどと。先程「再構成」と書きましたが、「編集している」とも言えます。

 

このレジナルド・オマス・マモード四世という方は、イギリスのブラック・ミュージシャンです。そう言われると、イギリスっぽい音に聴こえます。(言われたら感じるレベルですが)

 

 

メロディのキャッチャーさがなく、一般レベルでのヒットは難しいと感じますが、このアルバムを聴いたミュージシャンが触発されて、こういうグルーヴで、もっとメロディアスな曲を作り出すのではないか、そう感じました。ヒップホップだけでなく、こういうファンクももっと聴きたいブラック・ミュージックのリスナーは、私だけではないと思います。

 

 

 

一つだけ残念というか惜しい点が。曲がどれも短く、3分を超えているのが、全19曲のうち5曲しかありません。ここから、というところで終わってしまいます。こういうグルーヴは、せめて4〜5分は続いて欲しいのですが…。これも今風なのでしょうか?(まあこの辺も、コーネリアスっぽいけど)

 

 

 

【2019年3月29日】新曲「舞踏会」生まれました! *・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

一昨日、過去曲「花火」のリメイクのアイディアを考えていて、昨日、新曲の断片が出来て。そして今日、その2曲分のアイディアを合わせて、「舞踏会」という曲が生まれました。「花火」制作から約8ヶ月、寝かした甲斐があったというものです。

おそらく自分の意識の水面下では、着々と進行していたのでしょう。(自分の意識の役割はそれを上手くすくうだけです)

 

 

正確には「花火」のリメイクですが、歌詞を一新しました。年老いたある日に花火を見て、人生を回想する、そんな歌になりました。

 

 

 

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舞踏会

 

 

それは幼い日々の話   小さな世界が全ての頃

 

大きな松の木   天から見守る

 

公園で僕ら   一緒に遊んでた

 

 

それは自由な日々の話   何にでもなれた頃の日々

 

大きなお屋敷   小さなアパート

 

何にも気にせず   一緒に遊んでた

 

 

 

※赤や藍色   白や黄金色

 

それぞれの色に輝き

 

遠く近くに生まれては消え

 

やがて夜空に吸い込まれる

 

 

 

そんな時もいつか終わり   住み慣れた場所を離れて

 

よく分からない   数字に怯えて

 

欲望に   振り回される

 

 

 

君は桃色   僕は灰色

 

それぞれの色に分かれて

 

やがて時過ぎ   生地は色褪せ

 

それぞれの色は   混ざってく

 

 

 

僕は君と花火みてる   何もかもが夢のよう   

 

確かなものに触れたくなって

 

君の手をギュッと握りしめた

 

 

 

※2回くりかえし

 

 

 

(朗読)

 

 

「其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手くもでに闇をはじきながら、まさに消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。

 

『私は花火の事を考へてゐたのです。我々のヴイのやうな花火の事を。』

(『我々の生のような花火の事を』)

 

暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。」

 

ーー芥川龍之介「舞踏会」より

 

 

 

作りながら何度も何度もリピートしていて、この曲は、芥川龍之介「舞踏会」の一節の朗読が、キモのような気がしました。なので、ここはしっかりと生かして、タイトルも「舞踏会」としました。

元のトラックのキーを上げ、テンポを落とし、音も足したり・引いたりしています。この調子だと、トラックもすぐに完成しそうです。

 

 

朗読といえば、私の中では、オザケンとジム・モリソン (ドアーズ) です。お二人とも、アルバムでもライヴでも、音楽的で聴き応え十分の朗読を披露しています。

この曲の歌詞は自分の人生を俯瞰していて、そんな視点がちょっとオザケンっぽいかもしれません。曲の長さが長い (6分超え) ところも。

 

 

もうひと頑張りです。(←と、自分にプレッシャーをかけています 笑)。

 

 

 

歌詞に書いた「大きな松の木」。生まれ育った実家のすぐ近くです。子どもの頃見ていた姿と、全然変わっていません。(撮影は一昨年です)

変わったのは、私の方です。

 

この曲 (歌詞) はもしかしたら、うちの妹 (両親は他界してるので) しか共感出来ないかもしれません。普遍性がないかも。。