前回「怖い音楽」と書きましたが、ちょっと分かりにくかったかもしれません。補足で説明します。
「怖い音楽」とは、昔のマイナーなロックによくあった、心のギリギリのところで鳴らしているような音、という意味合いです。
昔からそういう音楽は、ロックのウラの本流として脈々と続いていたのですが、ビリー・アイリッシュさんや米津玄師さんの音楽のように、超メジャーなシーンでもそういう音が鳴り響く世の中になった、そう言いたかったんですよ。
まあ欧米では昔から、時々そんな音楽がストレートに受け入れられていたので、そんなに珍しくもないんですが、日本もそうなってきたのか、という感じです。
そんな音楽は、リスナーは喜んで聴いていますが、演ってる人は身を削って作ってるんじゃないかなと。
このビリー・アイリッシュさんの記事を読んで、ビリー・アイリッシュさんの音楽を聴いている方なら、やっぱりなあ、と思うのは、私だけではないと思います。いや、ちゃんと聴いてない私でさえ、思いました。27歳辺りで命を絶ってしまわなければいいんですが。
私も人からよく「繊細ですね」と言われるんですが (ホントに 笑)、音を聴く限り、ビリー・アイリッシュさんは私と比べるレベルではなく、とんでもなく繊細な人だと感じます。
それで更に思うのは、そんな音楽は、よっぽどの才能が無いと出来ないということです。これは実感です。
私が奏でたいのは、日々の生活の中で生まれる、ごく普通に聴こえる音楽です。
前回のブログ記事を書いて、あらためてそう思いました。
ギリギリの音楽は、特別な音楽は、才能のある人が身を削って行えばいい。普通の人は、普通の生活をして、その中から生まれる、ちょっとした感情などを掬って、音にすればいいんじゃないかと。
せっかく、ありがたい普通の生活が出来るんだから、その喜びや悲しみなどを表現していきたいなあと。(才能のない人の負け惜しみみたいだけど…笑)
そんな普通の私の歌は、こちらから聴けます。↓