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【2020年10月29日】ボブ・マーリー生誕75周年に寄せて 〜 レゲエと闘争はイソップ寓話「北風と太陽」のような関係

 

 

 

先日のYahoo!ニュース記事から。この記事によると、私が若い頃大人気だったプロレスラーの長州力さんは、ボブ・マーリーが好きでよく聴いていたそうです。

そのボブ・マーリーさん生誕75周年のベスト・アルバム「グレイテスト・ヒッツ・イン・ジャパン」が、先日28日にリリースされました。それにちなんで、またまたレゲエ話を。

 

 

 

今どきのレゲエ・ファンは知らないかもしれませんが、レゲエは元々、ジャマイカに於いての「闘争の歌」でした。こんな社会はおかしい、こんな世の中は間違っている、ミュージシャン (ラスタマン) たちは異口同音に、そんな歌ばかり歌っていました。

 

 

実際に政治に関わることなく、社会変革の希求の意識・エネルギーが100%音楽に向かっていた訳なので、’70年代のレゲエは当然ながら、正のエネルギーに満ちた素晴らしい歌が山ほどあります。

 

 

 

‘70年代レゲエと同時期に、やはり、ジャマイカ同様に社会情勢が不安定なイギリスに、パンク・ロックのムーヴメントが起こりました。パンクのミュージシャンたちもレゲエ同様に社会批判を歌っていました。

当時の雑誌やレコードのライナーノーツを読むと、パンクとレゲエのイデオロギーの相似点など挙げられていたり、一緒に語られていたりしていました。

 

 

でも今思うに、その音楽は正反対のベクトルを向いているんじゃないかと。ひとくちで表すと、パンクは否定の音楽、レゲエは肯定の音楽、です。

パンクのミュージシャンの自死やオーバードーズの話は山ほど知っていますが、レゲエのミュージシャンの自死の話は聞いたことありません。(単にニュースになってないだけかもしれませんが。。)

否定の意思は、究極自分の存在をも否定してしまう、ということなのでしょう。

 

 

 

何故レゲエのミュージシャンたちは、直接政治活動をせずに、歌を歌ったのか。一つの答えとして、ボブ・マーリーさんの、こんな歌があります。

 

 

 

音楽ってやつのいいところ

 

それは打たれても苦痛を感じないことさ

 

音楽ってやつのいいところ

 

それはいくら打たれても痛くないことさ

 

だから俺を打ってくれ

 

音楽で

 

さぁ俺を音楽で打ってくれ

 

今すぐに

 

 

「トレンチタウン・ロック」。対訳は「ぽっぽのブログ」より引用。

 

 

 

暴力による革命ではなく、それぞれのひとの心の革命です。銃で撃たれたら、鞭で打たれたら痛いけど、音楽で打たれたら、心地よさだけが身体を突き抜けます。

「今・ここで」音楽に打たれていい気分になろう。しあわせになろう。正しくレゲエの、そして音楽の本質を語っている歌詞ではないかと感じます。

 

 

 

レゲエを聴くと私はイソップ寓話を思い出します。

北風を吹かせて人々・自分、のマントを脱がせるのではなく、暖かい太陽の光によって、人々・自分が、ごく自然にマントを脱いでしまう、そんな社会改革を、レゲエのミュージシャンたちは夢想していたんじゃないかなあ。

でもそれはやっぱり夢想であって、現実問題、格差社会及び貧困化は、’70年代当時よりも更に進んでいます。

 

 

 

どんな社会、どんな環境でも、そこで暮らす以上は「今・ここで」何とかがんばる。私の若い頃、レゲエを聴きながら思ったことは、今でもブレていません。

あらためて、ボブ・マーリーさんに合掌ーー。

 

 

 

 

 

【2020年10月28日】「生命」制作ミーティングを行いました

今日は自曲でギターを弾いてくれているg君の家に、新曲「生命」についてのミーティング?に行ってきました。まあミーティングと言っても、半分は雑談してましたが。

パソコンも持って行き、オケだと聴き取りにくいところなどはギターのパートのみを鳴らしたり、BPMを落としてフレーズを分かりやすくしたりで、完成まで一歩前進したのではないかと。

 

 

そんなこんなで音を鳴らしていましたが、問題のフレーズが一つあり、手が止まってしまいました。そもそもこのフレーズが出来たので曲が形作られていったという、最重要のイントロのワン・フレーズです。偶然鳴って、それがいい感じだったので保存しておいた、そんなフレーズです。

 

 

このフレーズの響きに、どうも違和感を感じました。g君の聴こえている音と私が聴こえている音に、明らかに違いがあるのを感じました。同じワンフレーズなんですが。

 

 

同じ音源でも人によって聴きどころが違うというのは、よく知られた話です。単純な3和音、例えばドミソでさえ、曲の流れの中で聴くと、ある人によっては「ド」が強く聴こえたり、ある人によっては「ソ」が強く聴こえたり。脳内では、その人それぞれの「快」のポイントで鳴っている訳です。

 

 

 

そういえば、この話とちょっと違うんですが。

私のアルバム「キセツ」の楽曲の最終マスタリングをエンジニアの方に頼んだのですが、最初に上がってきた音源に、ところどころ歪みが聴こえました。

それを聴いた時思ったのは、「もしかしたらこの音源、エンジニアさんのオーディオ・システムやPCの数値上だとちゃんと鳴っているので、完成品として送ってきたんじゃないかな?」でした。(プロが歪んだのを上げてくる訳ないので)

 

 

案の定そうでした。私のシステムでも、カーステレオやイアフォンは大丈夫だったけど、ヘッドフォンで聴くと、僅かながら歪んで聴こえる。

原因として考えられるのは、私のレコーディングもエンジニアさんのマスタリングも、結構歪むギリギリのところで行われているので、モニター環境のバランスによっては歪んでしまう場合もあるんじゃないか、ということです。

この、歪むギリギリラインの一歩手前、が、一番いい音に聴こえるところなので。腐る一歩手前のバナナが一番美味しい食べごろ、じゃないですが (笑)。

 

 

 

機械でさえ、これです。システムによって、歪んだり、音質自体大きく違って聴こえたりです。ましてや人の耳など、意思や先入観や感情が入るので、機械と比べものにならないくらいに不確かなものです。取り敢えずは、一緒に作っているg君にはちゃんと伝わるようにしないといけないなあと。

 

 

 

 

 

おみやげ?に、こんなにたくさんのCDをお借りしました。ウハウハな気分です。

毎日一枚ずつ聴いていこうかなと。