先日のYahoo!ニュース記事から。この記事によると、私が若い頃大人気だったプロレスラーの長州力さんは、ボブ・マーリーが好きでよく聴いていたそうです。
そのボブ・マーリーさん生誕75周年のベスト・アルバム「グレイテスト・ヒッツ・イン・ジャパン」が、先日28日にリリースされました。それにちなんで、またまたレゲエ話を。
今どきのレゲエ・ファンは知らないかもしれませんが、レゲエは元々、ジャマイカに於いての「闘争の歌」でした。こんな社会はおかしい、こんな世の中は間違っている、ミュージシャン (ラスタマン) たちは異口同音に、そんな歌ばかり歌っていました。
実際に政治に関わることなく、社会変革の希求の意識・エネルギーが100%音楽に向かっていた訳なので、’70年代のレゲエは当然ながら、正のエネルギーに満ちた素晴らしい歌が山ほどあります。
‘70年代レゲエと同時期に、やはり、ジャマイカ同様に社会情勢が不安定なイギリスに、パンク・ロックのムーヴメントが起こりました。パンクのミュージシャンたちもレゲエ同様に社会批判を歌っていました。
当時の雑誌やレコードのライナーノーツを読むと、パンクとレゲエのイデオロギーの相似点など挙げられていたり、一緒に語られていたりしていました。
でも今思うに、その音楽は正反対のベクトルを向いているんじゃないかと。ひとくちで表すと、パンクは否定の音楽、レゲエは肯定の音楽、です。
パンクのミュージシャンの自死やオーバードーズの話は山ほど知っていますが、レゲエのミュージシャンの自死の話は聞いたことありません。(単にニュースになってないだけかもしれませんが。。)
否定の意思は、究極自分の存在をも否定してしまう、ということなのでしょう。
何故レゲエのミュージシャンたちは、直接政治活動をせずに、歌を歌ったのか。一つの答えとして、ボブ・マーリーさんの、こんな歌があります。
音楽ってやつのいいところ
それは打たれても苦痛を感じないことさ
音楽ってやつのいいところ
それはいくら打たれても痛くないことさ
だから俺を打ってくれ
音楽で
さぁ俺を音楽で打ってくれ
今すぐに
「トレンチタウン・ロック」。対訳は「ぽっぽのブログ」より引用。
暴力による革命ではなく、それぞれのひとの心の革命です。銃で撃たれたら、鞭で打たれたら痛いけど、音楽で打たれたら、心地よさだけが身体を突き抜けます。
「今・ここで」音楽に打たれていい気分になろう。しあわせになろう。正しくレゲエの、そして音楽の本質を語っている歌詞ではないかと感じます。
レゲエを聴くと私はイソップ寓話を思い出します。
北風を吹かせて人々・自分、のマントを脱がせるのではなく、暖かい太陽の光によって、人々・自分が、ごく自然にマントを脱いでしまう、そんな社会改革を、レゲエのミュージシャンたちは夢想していたんじゃないかなあ。
でもそれはやっぱり夢想であって、現実問題、格差社会及び貧困化は、’70年代当時よりも更に進んでいます。
どんな社会、どんな環境でも、そこで暮らす以上は「今・ここで」何とかがんばる。私の若い頃、レゲエを聴きながら思ったことは、今でもブレていません。
あらためて、ボブ・マーリーさんに合掌ーー。