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【2021年6月26日】米津玄師「死神」を聴く (観る) 〜 「米津メロディ」が堪能出来ます

「死神」は、ドラマのタイアップ・シングル「Pale Blue」収録曲。MVが上がっていました。古典落語の演目「死神」をテーマに制作されたとのこと。MVは落語の寄席が舞台になっています。

 

 

実は最近の米津さんの曲はあまり熱心に聴いてなかったのですが、この曲はピッタリハマりました。「flamingo」以来です。ハチ時代〜初期のメロディが洗練されて現れた、そんなふうです。ここ数枚のドラマ絡みの曲たちと違い、好きに作ったらこうなった、といった趣きがあります。思えば「Lemon 」のあとの「flamingo」も、そんな感じでした。

「死神」も「flamingo」も、日本の大昔の音楽をモチーフにした曲です。これらの曲を聴くと、米津さんのあの独特のメロディは、源流を辿れば日本の大昔の音楽に行き着くのではと感じます。

 

 

 

アメリカやイギリスのポップ・ミュージック・シーンでは、それぞれの国の大昔の音楽が、ごく自然な形で進化を遂げています。ブルースに然り、フォークやトラッド、ケルト音楽然り、そしてロックンロールも。

ところが日本のポップ・ミュージック・シーンは、日本の伝統音楽ではなく、欧米のポップスの影響を受けて進化してきました。大昔の浪曲や民謡などの大衆芸能音楽は、どこかの時点でバッサリと切り捨てられてしまいました。

 

 

でも米津さんのメロディや声には、いつの間にか時の流れと共に時代に埋もれて風化していった、大昔の日本人の大衆芸能音楽のDNAが濃く受け継がれているのではないかと。だから、一聴してマニアックな音楽であるにもかかわらず、マニアックな音楽ファンではない、多くの人たちの耳にも、スッと入るのではないか、そう思います。

 

 

日本のポピュラー音楽シーンが「ガラパゴス化している」と言われ始めた頃。そんなシーンの片隅の、更に超ガラパゴス的なニコニコ動画 (ボカロ) シーンで絶大に支持されていたのが、米津さんの音楽です。

かつてのボカロ時代のメロディを色濃く感じさせる「死神」を聴いていると、器用な洋楽ライクなJ –POPよりも、案外こういう純邦楽テイストの音楽の方が、逆に世界中で受け入れられるのでは?そんな時代が来るのではないか?と感じました。

 

 

 

 

 

【2021年6月24日】立花隆「臨死体験」「脳死」と、自曲「死についておもうこと」

先日「宇宙からの帰還」について記事を書いた後、この2冊を思い出しました。「臨死体験」「脳死」そして「宇宙からの帰還」…。自分内では縦糸で繋がります。

気になってウィキペディアをみると、こんな文章が目につきました。

 

 

幼少期より人の生と死の問題に関心を持ってきた。あるいは人間存在の本質に興味を抱き続けてきた。立花自身は次のように述懐している。「人生というのは、いつでも予期せぬことに満ち満ちている。計画など立てたところで、計画通りの人生など生きられるはずがないのである。もし自分の計画通りの人生を生きた人がいるとしたら、それはたぶん、つまらない人生を生きた人なのだ…(略)」

 

ーー「 」内は『生、死、神秘体験』より

 

 

ちなみに立花隆さんには、この3冊及び、他にも生と死について書かれた著書がありますが、読んだ本に限って言えば、どれもオカルティックでも湿っぽくもなく、きわめてドライなところが面白いです。単純に興味があって知りたかったのでしょう。そして若い頃の私も、生と死や生きることの意味?など知りたくて、こういった類の本を読み漁っていた訳です。

 

 

 

立花隆さんが死去される前日、ブログ記事にも上げましたが、偶然に過去曲「死についておもうこと」(「思う」を「おもう」に変えました) を思い出しました。

もしかしたら偶然ではなく「虫の知らせ」だったのかなあと。それぐらい、この曲の歌詞の世界観は、立花隆さんの著書から影響を受けているように思います。(←作っている時は思わなかったけど、今読み返したらそう感じました)

 

 

追悼を込めて、掲載します。

 

 

 

 

 

 

昨夜のYahoo!ニュースに、こんな記事が。面白く読みました。他人ではない気がしました (笑)。(アタマの良さは別にして)