「死神」は、ドラマのタイアップ・シングル「Pale Blue」収録曲。MVが上がっていました。古典落語の演目「死神」をテーマに制作されたとのこと。MVは落語の寄席が舞台になっています。
実は最近の米津さんの曲はあまり熱心に聴いてなかったのですが、この曲はピッタリハマりました。「flamingo」以来です。ハチ時代〜初期のメロディが洗練されて現れた、そんなふうです。ここ数枚のドラマ絡みの曲たちと違い、好きに作ったらこうなった、といった趣きがあります。思えば「Lemon 」のあとの「flamingo」も、そんな感じでした。
「死神」も「flamingo」も、日本の大昔の音楽をモチーフにした曲です。これらの曲を聴くと、米津さんのあの独特のメロディは、源流を辿れば日本の大昔の音楽に行き着くのではと感じます。
アメリカやイギリスのポップ・ミュージック・シーンでは、それぞれの国の大昔の音楽が、ごく自然な形で進化を遂げています。ブルースに然り、フォークやトラッド、ケルト音楽然り、そしてロックンロールも。
ところが日本のポップ・ミュージック・シーンは、日本の伝統音楽ではなく、欧米のポップスの影響を受けて進化してきました。大昔の浪曲や民謡などの大衆芸能音楽は、どこかの時点でバッサリと切り捨てられてしまいました。
でも米津さんのメロディや声には、いつの間にか時の流れと共に時代に埋もれて風化していった、大昔の日本人の大衆芸能音楽のDNAが濃く受け継がれているのではないかと。だから、一聴してマニアックな音楽であるにもかかわらず、マニアックな音楽ファンではない、多くの人たちの耳にも、スッと入るのではないか、そう思います。
日本のポピュラー音楽シーンが「ガラパゴス化している」と言われ始めた頃。そんなシーンの片隅の、更に超ガラパゴス的なニコニコ動画 (ボカロ) シーンで絶大に支持されていたのが、米津さんの音楽です。
かつてのボカロ時代のメロディを色濃く感じさせる「死神」を聴いていると、器用な洋楽ライクなJ –POPよりも、案外こういう純邦楽テイストの音楽の方が、逆に世界中で受け入れられるのでは?そんな時代が来るのではないか?と感じました。