【2017年8月18日】夏の終わりの雨に思う 〜 アルバム8曲目「ある夏の終わりに」

先日は、好天から一転して夜になって雨が降り、ちょっとだけ涼しくなりました。
毎年お盆明けのこの時期になると、北陸地方は雨が降り、夏の終わりを感じさせてくれます。とはいっても、ここ10年程は、雨が落ち着いてからまた残暑が厳しくなるんですが。
自曲「ある夏の終わりに」は、ちょうどそんな時期に書いた歌です。唯一、歌詞先の曲です。

 

数年前のお盆明けのある朝も、目が覚めたら雨が降っていました。その年の夏は特別に暑い夏で、毎日毎日暑さに喘いでいましたが、その日の朝からシトシト降る雨に、「ああ、夏が終わったんだなあ」と、しみじみ感じたものです。
その時に「夏の終わりに雨が降る/昨日までのあの日々が/遠い昔の思い出に」のフレーズが生まれました。

 

若い頃は、それこそ日々を生きるので精一杯で、季節の移ろいなど知ったことではありませんでしたが、歳を重ねるにつれ、気がついたらいつしか自然の移り変わりに敏感に反応するようになってきました。
私は100%インドア派で、だからといって海や山に行って自然に身を任せて満喫するといったことは一切ありませんが、ここ数年は、部屋の中にいても空の色や雲の流れが気になったりします。
これも、成長した証なのでしょうか。

 

「ある夏の終わりに」のサビの歌詞は、老後のささやかな夢を歌っています。結構好きなフレーズです。庭仕事をしながら、それこそ歌詞のように花の名前を覚えたり、ブログを更新したり、曲を作ったり、知人にメールを打ったり。。
実際にそんな生活が出来るといいなあ。

 

 

夏というと蝉の声。10年以上地中で成長、地上に出て1週間ほど鳴き続けて、その生を全うする蝉こそ、「一瞬の夏」の象徴だと思います。
この時期、蝉の亡骸も見かけ始める頃です。昔は見てもなんとも思わなかったのですが、今は、買い物や散歩の途中などのアスファルト上で発見すると、横に田んぼなど土のある場所があったら、つまんでその場所に放り投げています。カラカラなので、普通につまめます。

【2017年8月17日】マイ・メモリー・レーンを訪ねて

自宅から車で数分のところに、私が幼少の頃に住んでいた住宅街があります。今日は時間もあったので、車でちょっと廻ってみました。

 

 

数年前に帰省した時、それこそ40年ぶりぐらいにその住宅街の町内を見に行ったことがあります。
その時は、行くまで懐かしさで一杯だったのですが、行ってみると、懐かしいことは懐かしいのですが、意外にそれ程感情が動きません。ちょっと肩透かしをくらった感じでした。余りに環境の変化が大きかったためかと思います。

 

そして、小さい頃あんなに広かった、それこそ自分にとっての世界そのものだったその町内が、ほんとにちっぽけに感じました。世界というのは、個人の認識でその大きさが決まるものなのだなあと、思ったものです。

 

そんな中で、子どもの頃から道路脇にそびえ立っていた、当時のまんまの姿を留めている一本の大きな松の木だけは、当時も今も、その大きさは変わらずに見えました。

 

子どもの頃からほとんど変わらない、でもちゃんと成長している松の木を眺めながら、この松に比べたら、人の生や世の移り変わりは、まさに春の夜の夢の如しだなあと。思わずため息をつきながら、そんなことを思いました。
昔の人は上手いこと言ったものです。