【2024年5月19日】ボブ・マーリーの伝記映画「ボブ・マーリー:ONE LOVE」に思う 〜 レゲエの魅力について:その① グルーヴ

 

 

 

ここ数年で増えてきている故人ミュージシャンの歴史に光を当てた映画ですが、何とレゲエのボブ・マーリーまで仲間入りしています。少し前に私が当ブログに取り上げているシド・バレットや加藤和彦もそう。あとジョン・レノン、プリンス等が、最近公開されています。

つまりロックは、既に歴史として検証されるべきモノになったという事なのでしょう。私の少年時代は完全に異端のカルチャー扱いされていたのですが、何というか、立派になった?ものです。

 

 

それで、今回のボブ・マーリーですが、本人についてはそれこそ映画を観るなり遺された音楽を聴くなりしていただければと思い、今回は、レゲエ自体の魅力について再考してみます。

レゲエの魅力については、いろんな方がいろんなところで語っているので、私が目にした範囲で、なるべく重複しないように書いてみようかなと思います。

 

 

 

 

レゲエは、私が最も、聴いていて心が解放される音楽ジャンルです。

私が初めてレゲエにふれたのは、多分イギリスのロック・バンド、ザ・ポリスのヒット曲「ロクサーヌ」を聴いた時ではないかと思います。正確に言えば、この「ロクサーヌ」、あくまでレゲエ風のロックであり、純粋なレゲエではありません。

時同じ頃、YMOから遡って坂本龍一のソロ・アルバム「千のナイフ」を聴きましたが、このアルバムの6曲中4曲に通底していたリズムがレゲエでした。

 

 

つまりレゲエのリズムは、本物の影響を受けた白人や日本人が鳴らした音を、先ず聴いているという訳です。そして当時はちょっとかわったリズム、ぐらいにしか感じませんでした。

レゲエがロックともファンクとも全然違う類いの音楽と気付き、その魅力にどっぷりとハマったのは、それから数年後です。それまで聴いてきたロックやポップスが今までのように聴けなくなる程の強烈な音楽体験でした。

 

 

それは、リズムに身を任せる・グルーヴに酔う、という体験です。

ファンク・ミュージックも同様の楽しみ方を体験出来る音楽ですが、レゲエの場合、BPMがファンクよりもかなり遅く、しかも音もファンクのような瞬間瞬間に繰り出される塊のような音ではありません。余白が多く、リバーブ効果もあって、今聴いている空間に留まっている音のように聴こえます。

 

 

この、音の背後に深く・広々と広がって顕われる (聴こえる) 空間が、レゲエを聴いた時のあの開放感を生んでいるのではないかと、聴いていて思います。

そんな音像でゆったりと揺れるリズムに身を任せていると、自曲のタイトルではないですが、まさに「永遠」を感じます。

 

 

 

ちょっと専門的な話になりますが、そのグルーヴについて。ブラック・ミュージックのグルーヴは、詰まるところ裏拍によるものだと個人的には感じます。

レゲエは、その裏拍を、可視化ならぬ「可聴化」した音楽です。

初期のルーツ・レゲエは、ほぼ100%、ギターやオルガンやピアノで、ンッチャ・ンッチャ、と裏拍をしっかり刻んでいます。非常にシンプルで身も蓋もないこのカッティングはある意味、コロンブスの卵というか偉大な発明ではないかと。このカッティングによって、それまで聴こえていなかった音 (ノリ) がいきなり可聴化したのですから。

 

 

 

 

先ずはレゲエのグルーヴについて書いてみましたが、レゲエの魅力はもちろんそれだけではありません。音響面でも、アレンジ面及び曲構造面でも、そしてもちろん「歌」の面でも、まだまだ山ほどの魅力があります。ラップ/ヒップホップやベース・ミュージックの始祖でもあります。長くなるので、この辺は気が向いたらぼちぼちと書いていこうかと思います。

 

 

 

 

 

この文章は「エクソダス 〈デラックス・エディション〉」を聴きながら書いています。

「エクソダス」(‘77年) は、タイトルやリリース時の状況等から、かなりシリアスなアルバムに捉えられがちですが、ボブ・マーリー作品の中ではかなりポップで聴きやすい曲が揃っています。ボブ・マーリー入門アルバムとしてもオススメです。