昔から、夭折したアーティストたちの作品は必要以上に持ち上げられる傾向があります。
デヴィッド・ボウイの場合、享年69歳という年齢から考えると、夭折ではなく与えられた天寿を全うした感の方が強いのですが、それでも「★」は一般的にはある種特別なスワンソング的な作品に捉えられていて、そんなところがビッグ・セールスにもファンの高評価にも繋がったのだと感じます。
しかし今回はそういうのは抜きにして、じゃあこのアルバム、単純にどこら辺が凄いのか?について考えてみました。
先日、何度も何度も「★」を聴いていて、このアルバム、ボウイ音楽史を遥か遡って、’69年リリースの「スペース・オディティ」、’71年リリースの「世界を売った男」を連想しました。
この2枚のアルバムは、熱心なファンの間では概ね好評なのですが、一般的な知名度はシングル曲「スペース・オディティ」以外、全くと言っていい程ありません。あとカート・コバーンに歌われた「世界を売った男」ぐらいでしょうか。
この2枚のアルバムには、難解且つ饒舌な言葉や、あちこちに展開していくとっ散らかったメロディと音で溢れています。一聴してかなり散漫に聴こえます。しかしここで鳴らされる音や言葉は、当時の素のボウイの生々しい音や言葉ではないかと感じます。
その後のボウイは、’71年リリースの「ハンキー・ドリー」で、大きく舵を切ります。時代に身を委ねて、時代の変化と共に自身の音楽性をも時代に委ねて変化させてゆく、という他の誰も行っていない方法で、ロック・シーンに独自の立ち位置を獲得していきます。
「★」以前のデヴィッド・ボウイの数々の名作群は、そんな方法論によって産み出されています。「ジギー・スターダスト」しかり、「ロウ」しかり、「ステーション・トゥ・ステーション」しかり。
しかし「★」は、そうではありません。時代というペルソナを纏ったアーティスト以前の、素のデヴィッド・ボウイに戻ったかのような音楽性に回帰しています。いや、回帰というか、半世紀を経て進化したと言うべきでしょうか。
付け加えるならば、そこにジャズの要素が加わっています。
ボウイ・ファンには周知のとおり、彼の音楽家としてのスタート地点はジャズです。サックス・プレイヤーです。これまでにも数枚のアルバムで鳴らしていたジャズ的な音楽性が、このアルバムでは当時のジャズ・シーン最先端であるマリア・シュナイダー・オーケストラの面々の力を借りて、見事に実を結んでいます。(そう考えると、回帰しつつもちゃんと時代も取り込んでいますね)
アルバム全体を彩るトーンは暗く、正に「世界を売った男」から約半世紀後のアルバムに相応しいのではないかと。「★」のタイトル曲は、まるで「円軌道の幅」「オール・ザ・マッドメン」(「世界を売った男」の1・2曲目)、「シグネット・コミティー」(「スペース・オディティ」5曲目) のような、曲想が展開してゆく長尺の大作です。
死を前にして、時代ではなく「自分」を表現しようと考えたーーは、実に安易な推測ではありますが、かつて世界を売った男が、死を前にして世界を買い戻した、そう考えながら聴くと、このアルバムを更に楽しめるんじゃないかなと。(なーんて 笑)