先日の余韻が冷めきらない頭で考えていたのは、AIの作る音楽についてです。
何度も書いていますが、私は音楽制作へのAI参入には賛成している一人です。道具というのは使う為に発明されたのであって、それは音楽AIも同じです。もし使うなら、上手く使えば良いだけ、そう思います。
ところがそのAI制作の楽曲、ここ数年で完成度や整合感はケタ違いに上がっているのですが、正直言って聴いていて面白くありません (勿論、私個人の感想です)。その面白くなさの原因が、先日のパフォーマンスを観ていてハッと気付きました。
AIの音楽は、気を衒ったような曲でさえも、聴き続けるとヒトの予測を裏切る事はありません。人類が積み重ねた音楽知識の集積から正確にはじき出されています。過去・現在ヒトの脳が「快」と感じる音を、丁寧になぞっている、そんなイメージです。まあ敢えてそういうふうに作っているのかもしれませんが。
先日のパフォーマンスでは、次の一瞬が見えない・聴こえない、つまり次を予測出来ない面白さがありました。一瞬一瞬の大切さを嫌と言うほど感じました。
これが人間が演る音楽だよなあと痛感した次第です。
私の作っているポピュラー・ミュージックは、ある意味、予定調和の音楽ですが、そこには単なる過去からの使い回しではない、新しい「何か」を、予測不能な「何か」を、ほんの少しでも提示していかないといけないのではと感じます。
言うなればそれは、未来を提示していく行為。そこを求めるリスナーは、私を含めて大勢いらっしゃるのではないかと。そうでなく、予定調和な安心のみを求めるリスナーはAIの作る音楽で十分楽しめると思いますが。

フリアン・ボネキさんがパフォーマンスで使っていた、木と石で作った手作り楽器。陽気な方で、打ち上げでは人気者でした。
