このニュースを読んで、私の読書歴の黒歴史?が蘇りました。
私が高校生?大学生?(よく憶えていない) の頃、著者のガルシア・マルケス氏がノーベル文学賞を受賞したのを受けて、書店にこの「百年の孤独」と、当時の新刊「予告された殺人の記録」が平積みされていました。どちらも当時の書評で絶賛されていたので、ちょっと読んでみようかと、先ずは「百年の孤独」を手にとって最初の数行を読み始めました。
数行読んですぐに頭がクラクラして、即購入しました。と、ここまではいいのですが…。
結局何度かチャレンジした挙句読むのに挫折して、読了していません。こんなに読みにくい本が南米で大ベスト・セラーになって全世界的に読まれているとは、ちょっと信じ難い事でした。
この小説は「マジック・リアリズム」と呼ばれるスタイルで書かれています。当時の私はこういうタイプの小説を読んだ事がありませんでした。
結局この小説は、長い間実家の本棚に眠り続けた挙句に処分してしまいました。
最近、インターネットにアクセスしない日 (デジタル・デトックス) を時々設けていて、そんな日は何をしているかというと、読書の時間が圧倒的に増えています。どなたが仰ったのか知りませんが、ヒトは活字を食べて生きている、という言い回しを読んだ事があります。私にとってインターネットとは、動画でも音楽でもなく、まさに活字 (言葉) なんだなあ、と実感しています。なので、インターネットに接しない日は本を読むのでしょう。
そして当たり前ですが、本はネット記事に比べて圧倒的に長いです。この長さ及び、読んでいる時のゆっくりとした時間の流れこそ、今の年齢の自分の生活に必要なのではと感じています。
「百年の孤独」の売上の背景には、私のように若い頃最後まで読めなくて本を閉じたけど、今になってそろそろ読んでみようかと思い再び手にしている、私のような初老層が多いのではないかと、勝手に思っています。もしくは、当時読んで感銘を受けた方が、文庫本化のニュースを受けて数10年ぶりに読んでみようと考え手にしているというパターンか。
若い頃よりも自分の時間がしっかりとれる今だからこそ、長い物語に思考を委ねたいと考える人が、この本を手にとっているのかなあと。(実際はどうだか知りません、私の空想です)