小沢健二さんの2nd. アルバム「LIFE」が、ちょうど30年前の今日、つまり1994年8月31日にリリースされました。そして本日、アルバムのレコーディングのメンバーや機材等もそのままで、再現ライブが行われています。(この文章を書き始めたのは午後8時)
この「LIFE」ですが、おそらく洋楽・邦楽合わせて、’90年代に自分が一番よく聴いたアルバムのうちの一枚ではないかと思います。まさに当時、こういうのが聴きたかったんだ、という感じで、このアルバムやファースト・アルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」を毎日聴いていました。オザケン並びにフリッパーズ・ギターは、私がJ – POPシーン自体に興味を持つきっかけになったアーティストです。
オザケンの曲は、先ずその作り方自体が当時のJ – POPにはない新しい方法論を用いられています。ひと口で言うと、ヒップホップの方法を使って生演奏で演ってしまう、そんなやり方です。これが当時、本当に斬新に聴こえたものです。他人の曲 (洋楽) のイントロや間奏を自曲のイントロや間奏で鳴らしたり、引用したフレーズからオリジナルのメロディを発展させたり。ファンはこぞって元ネタ探しをしたものです。
しかし、’90年代から遠く離れて、2014年。突然リリースされたライブ・アルバム「我ら、時」を聴いて驚きました。このライブ・アルバムで鳴らされる’90年代の曲群のアレンジが大きく変化していた事にです。
どういう事かというと、引用していた他人の曲のパートを排除して、アレンジもオリジナルに替わっています。殆ども曲がそうなので、明らかに意図して行っています。名曲「ある光」など、弾き語りで歌っています。(この曲は、イントロがまるっと他人の曲なので、こうなったのでしょう)
その結果、曲の印象がガラッと変わったかと言えば、当たり前ですが全くそんな事はありませんでした。「オザケンはパクってばかりいる」と馬鹿にしていた当時の友人にあらためて聴かせたいくらいです。
そう言えば、この時はそのままのアレンジで演っていた有名なヒット曲「ラブリー」。何とこの曲すら、昨年にいきなりリリースしたショート・エディット・バージョンで、あの象徴的なイントロ (洋楽の引用) がバッサリとカットされていました。もちろん、曲全体の印象は全く変わらないのは言うまでもありません。当時の洋楽引用アレンジを、今になってオザケン本人にオリジナルへの拘りが生まれて変えたのかもしれません。(本当のところは分かりません)
久しぶりに「LIFE」を聴きながらツラツラと書いていますが、その曲は、アレンジは、歌は、そして音作りは今聴いても凄く (特にアレンジと音作りは変質狂的ですらある)、軽々と時代を超えて普遍の音として響きます。「ぼくらが旅に出る理由」の言葉は、今でも脳髄に突き刺さります。そう感じるのは、ファンの贔屓目からでしょうか…。
武道館、ファンの皆さんさぞや楽しんでいるでしょうね。