そのエレクトロニカですが、私が好んで聴くものに限って言えば、音の隙間が多いのも特徴です。
通常のポピュラー音楽は、音を積み重ねて作っていくので、メジャーなもの程音がしっかりと詰まっています。その常識が覆されたのは、以前も触れましたが、レゲエ/ダブからです。
レゲエ/ダブが隆盛したのは’70年代後半で、これは前回の、リズムの進化・ドラムの音の変化の時期と同じです。というか、レゲエ/ダブの影響で、そうなっていったんだと思います。
ところで、定食屋で「サライ」という雑誌を読んでいたら、こんな図形が載っていました。
どこにも3角形の図形は描かれていませんが、描かれていない筈の3角形は、我々の目にしっかりと映ります。しかも普通に描いてある3角形を見る時よりも、驚きの眼差しで、思わず目線を集中して見入ってしまいます。
そしてこの絵。
同じ雑誌の特集から。「瀑布に鷹図」というタイトルのこの絵は、岩場に止まった鷹が、滝に映った自分の姿に驚き見つめている、そんな構図です(解説から)。ちなみに、記事は脳科学関連の特集だったかと。
見る前にネタを知っていたので、そんな風にしか見えませんでしたが、何も知らずに目の前にパッと見せられて、絵の具が何ものってない部分が瀑布に見えたら、感動は大きいのではないでしょうか。
しかも、水しぶきとかを全く描いてないので、自分の想像する一番の瀑布が、頭の中に純粋にイメージとして広がるのでは。そんな気がします。
私がダブやエレクトロニカを聴くのは、この絵で言うと、自分だけの瀑布が見えるのを楽しむためです。想像力を喚起する事によってあらわれるイメージを体験出来るからです。聞こえてこない音を聴く行為、とでも言うんでしょうか。
拙いたとえ話ですが、前回ブログや「引き算の音楽『ダブ』」に加えて、ダブやエレクトロニカの魅力が、一般的には圧倒的多数の全く興味のない方・聴かない方にも、ほんの少しでも伝わったら嬉しいです。