ニュースから」カテゴリーアーカイブ

【2025年10月25日】【追悼】デイヴ・ボール逝去 〜 ソフト・セルの魅力について

ソフト・セルは、‘80年代初めのニュー・ウェイヴ・シーンに突如現れたエレクトロ・ポップのユニットです。メンバーは、マーク・アーモンドさんとデイヴ・ボールさんの二人。その音楽性は、その後のブロンスキ・ビートやコミュナーズ、ペットショップ・ボーイズ等に影響を与えています。(ペットショップ・ボーイズとマーク・アーモンドさんは近年共演もしています)
 
 

当時は異端というかB級というか、そんな扱いを受けていたユニットでしたが、私は大好きで、リリースされたアルバム3枚共当時買っています。
先日のデイヴ・ボールさんの訃報を受けて、ごく個人的なソフト・セルの思い出や所感を語ってみます。(以下、敬称略)

 
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 
 

ソフト・セルは、同時期のゲイリー・ニューマンやジョン・フォックス等、ドライでクールなエレクトロ・ポップ勢、デュラン・デュランやスパンドゥ・バレー等のヨーロピアン・ポップなニュー・ロマンティック勢、どちらとも一線を画す音楽性でした。一言で言えば、ソウルフルなエレクトロ・ポップです。
 
 
そのソウルフルでエモーショナル、を担っていたのは、ボーカルのマーク・アーモンドです。ソウルフルと言っても、ブラック・ミュージック的ではなく、オペラ的・シャンソン的な、ちょっと芝居がかったクラシカルなソウルフルさ、です。そしてトラックもかなりわちゃわちゃしていてエモーショナルです。
 
 
多分ですが、ソフト・セルのルーツは、ジョルジオ・モロダー及びドナ・サマーの電子ディスコ・サウンドではないかと推測します。ドナ・サマーはゲイ・コミュニティーで圧倒的な支持を得ていました。ゲイであったマーク・アーモンドが多大なる影響を受けた事は容易に想像出来ます。まさに、ドナ・サマーとスロッビング・グリッスルの幸福な出逢い、な音楽です。
 
 
1st.「ノン・ストップ・エロティック・キャバレー」(‘81年) では、まだ普通のエレクトロ・ポップでしたが、2枚目・3枚目とアルバムを重ねる毎に、音世界はどんどん混沌としていきます。セールスダウンしていったのもしょうがないかなと。
 
 
 

私は3枚目「ディス・ラスト・ナイト…イン・ソドム」(‘84年) の1曲目「Mr. セルフ・ディストラクト」が大好きで、このアルバムを買ってからしばらくこの曲を1日数回聴いていた日々がありました。
この曲は、まさに遅れてきたグラム・ロックです。いやこの曲だけでなく、このアルバムのキッチュ且つ破壊的な音は時代を超えて鳴っています。
 
 
今「Mr. セルフ・ディストラクト」をリピートしながら書いています。謹んでお悔やみ申し上げます。

 
 
 

 
メルカリでは日本盤のオビ付きのも出回っていました。私の所有しているレコードは輸入盤です。
 

【2025年10月22日】前回の続き 〜 これからの政治に望む事 (ちょっと大風呂敷広げました)

先日「日本初、女性の総理大臣誕生に思う」を上げたところ、ごくたまにご意見をいただく方から、私の持論「女性の方が男性より人格バランスがとれている」に対して「それはツボカワさんご自身が男性だからそう思うのではありませんか?」との言葉をいただきました。ご意見ありがとうございます。
 
 
言われてみて、確かにそうかなと感じたと同時に、かつての職場における自分の立ち位置が「多数女性の中の少数男性」だから、ある意味異邦人視点でそう感じたのではないか、そのようにも考えました。
 
 
あと前稿で書き忘れたのですが、女性のバランス感覚は、人生をより生きやすくする為の知恵ではないか、そうも感じます。(圧倒的な男社会だった大昔。女性が被差別人種だった頃のDNAの名残りなのかな…)
私は職場の同僚彼女たちから、そんな知恵のような何か、を感じたという訳です。
 
 
 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 
 
 
以下はそんなご意見で思い出した昔話です。
雑貨屋勤務のその職場時代、私はよく社員研修に行かされました。今となってはその研修内容の殆どは忘れてしまったのですが、鮮明に憶えている事も幾つかあります。
そのうちの一つに、こんな話があります。
 
 
働く意欲が上がる・居心地が良い・退職者が少ない、勿論業績が良い…、そんな理想的な会社や職場にしたいなら、長期的な対策として、従業員の性別・年齢バランスを考えた人材配置や採用を考慮する事が大事であるーーそんなような話だったと。
つまり平たく言うと、老若男女が混在する職場作りを目指す、という事です。これには納得しました。つまり会社の中に「小社会」を作るという事です。
 
 
社会には多種多様な人々が混在しています。男性が居て女性が居てLGBTQが居て、一生懸命働いている人が居て毎日ゲームばかりしてるニートが居て、健康な人が居て病人が居て…、そんな中だからこそ僕たちは「自由」を感じる事が出来るんじゃないかなと。生き生きと生活出来るんじゃないか、と。
これが例えば、皆同じ方向しか向いてない男性ばかり…、だったとしたら、息が詰まりそうになるし、ちゃんとした考えや判断等も出来なくなるんじゃないか、と。

 
 
 

最近のYahoo!ニュース記事で橋下徹さんが高市さんを評して「永田町は男社会。それをよく突破した」と感心している記事が載っていましたが、まさに政治の世界こそ、老若男女が混在、が望ましいのではないか、と切に感じます。
 
 
性差や年齢差があるという事は、つまり自分の思考に他者の視点が入りやすい、という事です。年齢・性別・思想がバラバラな人たちが集まって、知恵を出し合って考え、議論するーーこれが今からの政治の世界に求められる事なのではないか。そう思います。まあ私は単なる有権者の一人で政治家ではないので、気楽にこんな意見も言える訳ですが…。

 

 
 

 
近所のコスモス畑に野良猫発見。