アナザー・サニー・デイの爽快なギター・ロックを聴いていて、大昔のパンクを思い出しました。
パンクがロック・シーンにブレイクしたのは、1976年〜77年。有名なパンク・バンド、クラッシュの歌のタイトルにもあります (1977)。そして翌年の1978年位から、既にニュー・ウェイヴと呼ばれはじめ、音楽性も多様化しています。
私の個人史に照らし合わせると、’77年が中一、’78年が中二。本格的 (?) にロックを聴きはじめたのが中二ぐらいなので、あと1年早く生まれていたら、もしかしたらパンクに夢中になっていたかもしれません。この辺の年代の1年2年の差は大きいです。
でも今思うに、日本ではパンクは終わるどころか始まってもいませんでした。単なる海の向こうのロックのいちムーヴメントでした。私が田舎の中学生だったせいかもしれませんが。
その頃のロックはイデオロギー先行で聴かれていました。音楽雑誌も、今では信じられない位にイデオロギッシュでした。「ミュージック・マガジン」「ロッキング・オン」「フールズメイト」「ロック・マガジン」…。どれも今思うに、思想誌のようです。「ミュージック・マガジン」「ロッキング・オン」は今でも発刊されていますが、もはや違う雑誌です (笑)。
今思うと、音楽にそこまで自己のイデオロギーを埋没させて聴けるという行為は、ある意味しあわせだったと感じます。
この手の話は今までたくさんの方々が語っているので省きます。私が語りたいのは、パンクの音楽性についてです。
パンクを聴いて誰もが思うのは「これは自分でも出来そう」です。歌はとりあえずがなり立てて、ギターはコードを3つほど押さえることが出来れば、曲も作れるし演奏も出来ます。
この「出来そう」というのが最大のポイントです。
実際に、バンドを組んで、せーので音を出した時の開放感を、パンクはテクニックがなくてもいとも簡単に体験できます。なんというか、すごく自由になったような、背中に羽根が生えたよう、に感じます。これは体験談からです。
ところが実際の話、パンク・ロックの音楽スタイルは、自由に演るどころか制約だらけの中で成り立っていました。
ギターはディストーションで歪んだ音で、使うコードは2つから、多くて4つぐらいまで。そしてその進行はスリー・コードのパターンに忠実。楽器編成は、ドラムス・ギター・ベースのスリーピース、プラス、ボーカル。
ドラムは極力オカズ (タムやシンバル) を叩かず、リズムのキープ。ギターはカッティングのみで、ソロは弾かない。ボーカルは基本シャウトで、音程のキープは特に気にしなくてもよい。そして曲は大体2〜3分、長くて4分以内。
ここまでがんじがらめに決めごとが多い、自由度が低い紋切型の音楽スタイルなのですが、だからこそ逆に、誰もが出来て、誰もが解放されたのではないかと思います。
日本でも「俳句」という表現スタイルがあります。5・7・5に季語を入れて言葉を当てはめるだけで、それなりに心情が表現出来ます。
思うに、何も制約のないところから作品を生み出せるのは、ごく一部の才能の豊かな方のみではないかと。普通の人は、何らかの決めごとの中での方が、自分を解放させやすいんじゃないか、そんな気がします。
そのパンクを含めたギター・ロックも、今ではメジャー・シーンからどんどん衰退していっていますが、こうやって愛する人がいる限りは、その火種が消えることはないと思います。
※ 今回の記事に興味を持たれた方は、合わせてこちらをご覧下さい。(「はじめて作った曲」)
パンクと言えば、何と言ってもセックス・ピストルズ。
ふたつのコードと言葉で心の闇を表現した、ジョイ・ディヴィジョン。ボーカルのイアン・カーティスさんは自殺してしまいました。(後にニュー・オーダーとして活動再開、現在に至る)